「日野熊蔵」の版間の差分

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ともあれ、日野の記録は抹消され、12月19日の徳川の飛行をもって'''「日本初飛行の日」'''とされている。
 
以降、徳川は陸軍の航空機畑の看板として順調に昇進し、一方の日野は翌年には独自の機体の開発までをも行うが左遷され、以降軍務において航空機関連に用いられることはなかった。
 
[[1911年]](明治44年)から翌年にかけて自身が設計の機体、日野式飛行機を製作した。[[1916年]](大正5年)には陸軍歩兵中佐になる。