「山田美妙」の版間の差分

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美妙の言文一致の作品は、『武蔵野』『蝴蝶』のような時代小説が多かったので、地の文が「です・ます」「である」調であるのに、会話文は[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]を題材にした『武蔵野』では「足利ごろの俗語」奥浄瑠璃を用いるなど、古めかしい言葉遣いであった。その意味では、いささか奇をてらったようにも見え、さらに『蝴蝶』が掲載されたときの挿絵に、主人公胡蝶の裸体画が初めて用いられたので、その意味での注目を集めてしまったことも、彼の作品を文学としてきちんと評価させなかったような趣があった。それが、美妙を文学の第一線からしりぞかせ、辞書の編纂をして糊口をしのぐような生活に追いこんだ一因でもある。晩年には、[[フィリピン独立革命]]にシンパシーを抱き、独立の志士[[エミリオ・アギナルド]]の伝記『あぎなるど』や、運動の挿話『羽ぬけ鳥』なども著した([[フィリピン独立革命#日本との関係|フィリピン独立革命と日本との関係]]も参照)。
 
また、美妙は[[国語辞典]]の編纂者としても著名で、「日本大辞書」([[1892年]])と「大辞典」([[1912年]])を編んだ。「日本大辞書」は美妙が口述し、大川発が速記したもの。日本の辞典で初めて語釈が口語体で書かれた。もちろん、これらは、口語形、口頭語形、笑い声、泣き声なども豊富に立項していた(「あはは」「いひひ」「おほほ」「にこにこ」「うんにゃ」など)。また「日本大辞書」は[[共通語]]の[[アクセント]]が付記された辞書としては近代において最古のものとされ、日本語のアクセント研究の黎明を築いた。
 
美妙の小説には導入部のあと主人公が死んで終わる作品、[[講談本]]などの場面を継ぎはぎした作品、教訓のみが目に付く作品も多い。小説・詩ともやや内容に乏しい。しかし先駆者として、文学の形式を発展させた人物である。