「ラッシュ (カナダのバンド)」の版間の差分

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=== プログレ色と大作主義 ===
「フェアウェル・トゥ・キングス」収録の最終曲 "Cygnus X-1 Book 1" を、大作主義的曲になる事を匂わせた上で「to be continued(続く…)」としてしまった。 実際この段階では次作で大組曲 "Cygnus X-1 Book II" を構想しており、この予告編としてこれを入れたのである。そして苦労の末に発表されたアルバム「神々の戦い」は大作主義的であるが、そこに展開されている歌詞は、その後のニール・パートの歌詞の作風となる「少ない単語で端的に言い表す」ものに既になっていた。
「'''西暦2112年'''」までを第一期ラッシュとし「'''フェアウェル・トゥ・キングス'''」〜「'''ラッシュ・ライヴ〜神話大全'''」までを第二期ラッシュとすることが出来る。 この時期は[[プログレッシブ・ロック]]全般が隆盛を極めていた時期でもあるのと呼応して、ラッシュも複雑なアレンジの駆使と大作主義傾向を強めていく<ref>それまでのハードロック的要素を強く残しつつも大作主義に裏付けられているという意味で「'''西暦2112年'''」は交差点での作品だと言える</ref>。 しかし、これがバンド、特に、作詞のみならずバンド・コンセプトの鍵を大きく握っているニール・パートを苦しめる事となる。 「'''フェアウェル・トゥ・キングス'''」当時で既にSF小説の大概は読了していたニール・パートの読書興味対象はSF小説から[[アーネスト・ヘミングウェイ| ヘミングウェイ]]等の現代文学へと移っていた<ref>この事は同アルバムタイトル「'''A FAREWELL TO KINGS'''」が[[アーネスト・ヘミングウェイ| ヘミングウェイ]]の「[[武器よさらば|A farewaell to arms]]」(邦題:武器よさらば)を捩って(もじって)いる事からも明瞭である</ref>のもあって、象徴的な単語をふんだんにちりばめて幻想的な空気感を演出するそれまでの作詞セオリー(これは必然的に文章量が膨らむので大作主義にはマッチする)には飽き始めていた。 より直接的、より具体的に、少ない言葉で端的に物事を言い表す「明瞭さの美」に興味が移り始めていたのに「'''フェアウェル・トゥ・キングス'''」収録の最終曲 "Cygnus X-1 Book 1" を、大作主義的曲になる事を匂わせた上で「to be continued(続く…)」としてしまったのだ。 実際この段階では次作で大組曲 "Cygnus X-1 Book II" を構想しており、この予告編としてこれを入れたのである。 "Cygnus X-1 Book II" は[[フリードリヒ・ニーチェ]]が1872年に著した『音楽の精神からの悲劇の誕生』をモチーフとした作品である。本来のニーチェの作品では[[アポロン]]に[[理性]]を象徴させ、[[ディオニュソス]]に[[情動]]を象徴させて、両者の性質を合わせ持ったものこそ最高の芸術(文学)形態、すなわち悲劇であるとしたが、ニール・パートはこれにひねりを加えて[[はくちょう座]]の[[シグナス]]に[[バランス]]を象徴させ "Cygnus X-1 Book 1" との辻褄をつけた。
 
苦労の末に発表された 「'''神々の戦い'''」(''HEMISPHERES'')は非常に素晴らしいアルバムに仕上がった<ref>Cygnus X-1 Book II" を除く全曲が、その後長くライブで演奏し続けられている曲ばかりである事からも伺い知れる</ref>のだが、上記の通りニール・パートの興味は大作主義ではない方向に移りつつあった処に、このアルバムの苦労がだめ押しとなり以降大作主義は鳴りを潜める(後のインタビューでニール・パート本人も「こりごりだ」と語っている)。 このアルバム自体も外形は大作主義的であるが、そこに展開されている歌詞は、その後のニール・パートの歌詞の決定的作風となる「少ない単語で端的に言い表す」ものに既になっている。
 
=== ラッシュらしさの確立 ===