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2枚目のアルバム『'''[[ならず者 (アルバム)|ならず者]]'''』は[[コンセプト・アルバム]]で、基本的にはファースト・アルバムと同様のサウンド構成に留まり、バーニー・レドンのカラーが強い[[ブルーグラス]]的な楽曲と、ロック的な要素の曲が共存しているものの、その音楽的成熟度としては格段の向上を見せた。タイトル曲の哀愁を帯びたバラード'''「[[ならず者 (曲)|ならず者]]」'''は、後にリンダ・ロンシュタットや[[カーペンターズ]]に至るまで、数多くのアーティストたちに[[カバー]]される[[スタンダード・ナンバー]]となっている。
 
元々の音楽的ルーツとしてカントリー・ロック志向が強い4人であったため、前作のレコーディングとプロモーションにはかなりの労力が注がれたが、セールス的には失敗といえる有様であった。そのため、3枚目の『'''[[オン・ザ・ボーダー]]'''』においては、よりロック的なアルバムにすべく、2曲を収録したところで[[プロデューサー]]がロック志向の強い[[ビル・シムジク]] に替わった。同アルバムには、「オール・レディ・ゴーン過ぎた事」と「ジェームス・ディーン」という2曲の佳作が収録されている。また、バーニー・レドンの紹介で、彼の親友でアマチュア時代のバンドメイトであった[[フロリダ]]出身のギタリスト、元'''フロウ'''(''Flow'' )の[[ドン・フェルダー]]が収録曲中2曲において参加し、ロック的色彩を強めることとなった。ドン・フェルダーは後にメンバーとして正式加入しており、ツアーではカントリー的な楽曲ではレドン、ロック的な楽曲ではフェルダーがリード・ギターを主に担った。
 
=== ロックのスターダム、絶頂期へ ===
[[1975年]]、大ヒット・アルバム『'''[[呪われた夜]]'''』を発表。タイトル曲「[[呪われた夜 (曲)|呪われた夜]]」をはじめとし、[[グラミー賞]]、ベストポップボーカル賞を獲得した「[[いつわりの瞳]]」、[[ランディ・マイズナー]]がボーカルをとる「[[テイク・イット・トゥ・ザ・リミット (曲)|テイク・イット・トゥ・ザ・リミット]]」と3つのヒット曲を生んだ。オリジナル・メンバーの音楽的なルーツであるカントリー色の濃い楽曲も依然見られるものの、全体としてはよりロック色を強め、またタイトル曲では[[AOR]]や[[ファンク]]、ダンス・ミュージック的要素を盛り込むなど、音楽的な幅はさらに広がった。セールス的にも前作に続き大きな成功を収めている。
 
しかし、『[[オン・ザ・ボーダー]]』の頃から続いていたメンバー間の軋轢がこの頃から激化していた。デビュー当時には民主的なグループであったが、実質的に主導権を握った[[ドン・ヘンリー]]と[[グレン・フライ]]の2人の日頃からの高慢な態度にバーニー・レドンは業を煮やし、バンドの音楽的方向性への疑問も重なったことで[[1975年]]12月に脱退している。
 
== 演奏スタイル ==
名実ともに、音楽の黄金期である70年代を代表するバンドであり、ヒット曲を多数発表しているが、どの曲も美しいコーラスワークを聴かせる。デビュー前、グレン・フライは全員がボーカルを採れるバンドを目指しており、デビュー時のオリジナルメンバーである、[[グレン・フライ]]、[[ドン・ヘンリー]]、[[ランディ・マイズナー]]、[[バーニー・レドン]]はファーストアルバムである「[[イーグルス・ファースト]]」で4人全員がリードボーカルを採り、またグレンの目指していたコーラスワークもレベルの高いものとなった。その後、メンバーチェンジもあり、ロック色の強いバンドになっていったが、コーラスの美しさは落ちるどころか、さらにレベルアップしていった。
 
さらに、[[ドン・フェルダー]]、[[ジョー・ウォルシュ]]といったテクニックのあるギタリストが加わってからは演奏能力も格段に上がり、ライヴでもクオリティの高い演奏を見せている。また、[[ビートルズ]]の[[レノン=マッカートニー]]のように、ヘンリー=フライのコンビでヒット曲を連発していった。ただし、[[レノン=マッカートニー]]の場合はほぼ完成した楽曲に一方がアレンジを施すなどする関係だったのに対し、ヘンリー=フライのコンビは、主にヘンリーが作詞、フライが作曲を担った。
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