「秋霜 (駆逐艦)」の版間の差分

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マニラに到着した「秋霜」は、[[レイテ島]]行きの[[多号作戦]]に投入される事となった。11月8日朝、「秋霜」は11月5日に空襲を受けて航行不能となった「[[曙 (吹雪型駆逐艦)|曙]]」の代役として<ref>田村, 155ページ</ref>第四次輸送部隊を護衛してマニラを出撃。翌11月9日夕方に[[オルモック湾]]に到着するも、[[大発動艇|大発]]が揃わなかったため兵員しか陸揚げできなかった<ref>木俣『日本水雷戦史』552ページ</ref>。11月10日、輸送部隊はオルモック湾を出撃してマニラに向かったが、間もなく[[B-25 (航空機)|B-25]]と[[P-38 (航空機)|P-38]] の攻撃を受けて[[陸軍特殊船]]「高津丸」(山下汽船、5,657トン)と輸送船「香椎丸」([[商船三井|大阪商船]]、8,407トン)が沈没。輸送部隊を指揮する第一水雷戦隊司令官[[木村昌福]]少将(海兵41期)は、「[[霞 (朝潮型駆逐艦)|霞]]」「[[朝霜 (駆逐艦)|朝霜]]」「[[長波 (駆逐艦)|長波]]」を率いて救助作業にあたり、「秋霜」以下の艦艇を輸送船「金華丸」(大阪商船、9,305トン)の護衛につけてマニラへ先発させた<ref>木俣『日本水雷戦史』554ページ</ref>。11月11日、「秋霜」以下の先発隊は[[セブ島]]北端でP-38 の攻撃を受け、「秋霜」は艦首に命中弾を受けて切断され戦死傷者55名を出し、速力も16ノットしか出なくなった。それでも追いついた「霞」などと合同して「金華丸」を守り通し、同日18時30分にマニラに帰投した<ref>『多号作戦戦闘詳報第二号』pp.17</ref>。
 
「秋霜」は[[カヴィテ州|カヴィテ]]の第一〇三工作部に回航され、カヴィテ港第2桟橋に係留された。この時、機関故障を起こした2ET型戦時標準船の第5蓬莱丸(蓬莱タンカー、834総トン)や、応急修理のために回航されていた「曙」も同桟橋に係留されており、岸壁から第5蓬莱丸、「曙」、「秋霜」の順番で係留されていた<ref name="b">田村, 155ページ、『完全版 特型駆逐艦』162ページ掲載写真</ref>。しかし、回航から2日後の11月13日午後、同桟橋は第38任務部隊の艦載機の攻撃を受けた。第5蓬莱丸は船体後部に直撃弾を受け、同日午後に大破着底。「曙」は直撃弾1発・至近弾10数発を受けて左に傾き、「秋霜」も一番砲塔前方と後部甲板に直撃弾3発を受け火災が発生。その後火薬庫に誘爆し、炎上する。「秋霜」は翌14日0500に右舷を下にして転覆し、艦橋部が海底に埋まった状態で着底。「曙」も同じ14日朝に[[艦橋]]部のみを海面上に露出させて着底した<ref name="b"></ref>。航海長原田実大尉(海兵71期)<ref>この時、駆逐艦長中尾小太郎少佐(海兵57期)はマニラの司令部に出向いていた。</ref>以下乗員15名が戦死し、25名が負傷した。
 
1945年(昭和20年)1月10日除籍。その後、艦体は戦後の1955年(昭和30年)9月に浮揚され、解体された。