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'''スティーヴン・グロバー・クリーブランド'''('''{{lang|en|Stephen Grover Cleveland}}''', [[1837年]][[3月18日]] - [[1908年]][[6月24日]])は、第22代および24代[[アメリカ合衆国大統領]](任期:[[1885年]] - [[1889年]]、[[1893年]] - [[1897年]])。歴代大統領で唯一、「連続ではない2期」を務めた大統領である。また、歴代アメリカ大統領の中で唯一、ホワイトハウスで結婚式を行った大統領としても有名である。また、ニューヨークの[[自由の女神像 (ニューヨーク)|自由の女神像]]の除幕式に参加した大統領でもある。なお日本語では「グロバー」と表記されることが多いが、英語の発音は「グラヴァー」である。
クリーブランドは財界贔屓の{{仮リンク|ブルボン民主党|en|Bourbon Democrat}}員であり、高率関税、銀本位制、インフレーション、帝国主義および商業者、農民および退役軍人への補助金に反対した。政治改革と財政保守主義のための戦で、彼は国民の保守層のアイコンとなった<ref>Merrill, 46; Brodsky, 309, 431; Tugwell, 139</ref>。クリーブランドはその正直さ、独立性、高潔さおよび古典的自由主義の原則への関与により称賛を勝ち得た<ref>Jeffers, 8-12; Nevins, 4-5</ref>。改革者として彼は根気よく政治腐敗、贔屓およびボス政治に反対した。大統領職二期目は
クリーブランドは強権主義を採り、強い批評を受けることとなった。1894年の[[プルマン (企業)|プルマン寝台車会社]]のストライキに対する介入で全国の労働組合が彼への反感を強めた。また、金本位制を支持し銀貨の自由鋳造に反対することで、民主党の農地改革論者派は遊離することとなる<ref name=tugwell>Tugwell, 220-249</ref>。その上、評論家は彼の二期目を、想像力がほとんど無く国の経済的災害に圧倒されたようであると批判した<ref name=tugwell/>。それでも、正直さとその人格で彼はその多難な二期目を切り抜けた。伝記作家の[[アラン・ネビンス]]は「グロバー・クリーブランドにおいては、その偉大さは、珍しい資質というよりむしろ典型的な資質にあった。彼は、何千人のうちの誰も持っていないというような天稟を持っていたわけではなかった。彼にあったのは、正直さ、勇気、堅い意志、自立性、そして常識であった。しかし、彼は、他人以上に、それらの美徳を持ちあわせていたのだ」と書き表している<ref>Nevins, 4</ref>。
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