「江戸三座」の版間の差分

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こうして府内の芝居小屋は次第に整理されてゆき、[[延宝]]の初めごろ(1670<small>年代</small>) までには[[中村座]]・[[市村座]]・[[守田座|森田座]]・[[山村座]]の四座に限って「[[櫓#建物としてのその他の櫓|櫓]]をあげる」ことが認められるようになった。これを'''江戸四座'''(えど よんざ)という。
 
[[File:Yagura_on_the_Kabuki-zaza_2013.JPGjpg|thumb|215px|left|東京[[歌舞伎座]]の櫓 (2013年3月撮影)
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{{small|新開場の際に揚げられたもの。歌舞伎座で櫓が上がるの毎年通常11月の顔見世大歌舞伎ときのみだった際に揚げられる。}}]]
 
櫓とは、人ひとりが乗れるほどの籠のような骨組みに、2本の[[御幣|梵天]]と5本の[[槍]]を組み合わせ、それを座の[[家紋|定紋]]を染め抜いた幕で囲った構築物で、これを芝居小屋の入口上方に取り付け、かつてはそこで人寄せの太鼓を叩いた。この櫓をあげていることが官許の芝居小屋であることの証だった。逆に櫓のない芝居小屋は'''宮地芝居'''(みやぢ しばい)と呼ばれ、簡略な小屋掛けであること、舞台の上以外には屋根をつけないこと、[[定式幕|引幕]]・[[劇場|回り舞台]]・[[花道]]などの装置を使わないことなど、さまざまな制限が設けられた。