「一撃離脱戦法」の版間の差分

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世界一の撃墜数を誇るドイツ空軍のエース[[エーリヒ・ハルトマン]]は一撃離脱戦法に徹した代表的なパイロットである。ハルトマンは「観察」「決定」「攻撃」「離脱」または「小休止(コーヒー・ブレーク)」という4段階の一撃離脱戦法に徹した。上空から相手をよく観察して、こちらの存在にもし気づかれれば小休止してその敵機と離れて2度とその相手とは交戦はしない。もし気づいていなければ一撃離脱攻撃を行った<ref>Raymond F.Toiliver / Trever J.Constable『不屈の鉄十字エース』学研M文庫96頁</ref>。
 
一般に日本の戦闘機搭乗員は格闘戦を好んだとされるが、撃墜数日本一とも言われる日本海軍のエース[[岩本徹三]]は、一撃離脱を鉄則にしていた。岩本は「敵が来る時は退いて敵の引き際に落とすんだ。つまり上空で待機してて離脱して帰ろうとする奴を一撃必墜するんだ。すでに里心ついた敵は反撃の意思がないから楽に落とせるよ」「敵の数が多すぎて勝ち目の無い時は目をつむって真正面から機銃撃ちっぱなしにして操縦桿をぐりぐり回しながら突っ込んで離脱する時もあるよ」と語っている。これに対し[[西沢広義]]の「途中で帰る奴なんか、被弾したか、臆病風に吹かれた奴でしょう。それでは(他機との)協同撃墜じゃないですか」という指摘もある<ref>角田和男『修羅の翼』光人社NF文庫361-365頁</ref>。
 
零戦の運動性を高く評価する[[坂井三郎]]も、格闘戦は不利に立たされた最後の手段、窮地の脱出法とし、先制攻撃による一撃離脱を極意と主張した。
 
日本海軍のエース[[菅野直]]は大型重爆攻撃機の邀撃に直上方より行う一撃離脱戦法を考案し戦果を上げた。前方高度差1000メートル以上とり背転し真っ逆さまに垂直で敵編隊に突っ込み死角となる真上から攻める。しかし敵との衝突を避けるため尾部を通っているとそこに弾幕を準備されたため、主翼前方を抜けることにした。敵銃座から射撃されない位置だが衝突の危険が高く、高い反射神経と恐怖に打ち勝つ精神力が求められる攻撃であった<ref>丸『最強戦闘機紫電改』光人社169、176-177頁</ref>。またこの戦法は同期の森岡寛に菅野から伝授され、302空で訓練され1944年11月からの迎撃戦で威力を発揮していた<ref>碇義朗『最後の撃墜王 紫電改戦闘機隊長菅野直の生涯』光人社NF文庫p283</ref>。