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{{出典の明記|date=2014年5月24日 (土) 11:23 (UTC)}}
'''一斉授業'''(いっせいじゅぎょう)は、[[小学校]]、[[中学校]]では最もポピュラーな[[授業]]の形態。[[教師]]が一人で、大勢の[[児童]]・[[生徒]]に対して授業をするというもの。一斉教授、一斉学習ともいう{{sfn|宮坂義彦|2011|p=9}}。知識的教科ではポピュラーな授業形態。
 
== 概要 ==
生徒は全員、[[黒板]]を背にした教師の方を向いて授業を受ける。授業は概ね教師の描いたシナリオに基づいて行われる。教師は問答法的な問いかけで、児童・生徒の理解度を推し量るが、学級全体の児童・生徒に質問することは出来ず、教師からの一方的な情報発信になりがちという難点もある。
 
== 歴史 ==
==一斉指導の利点と問題==
少数の授業者が多数の受講者に対して授業を実施する形式は、[[19世紀]]初頭に[[イギリス]]において開発されたベル・ランカスター方式に始まるとされる{{sfn|宮坂義彦|2011|p=9}}。この方式が近代教育の基本形態として広く採用された{{sfn|宮坂義彦|2011|p=9}}。
多少理解の度合いに差があるにせよ、一斉授業では生徒の教育水準がほぼ均等化され、[[学力]]の差が生じる可能性が低い。よほど注意力が余所に向いていない限り、いわゆる落ちこぼれは発生しにくい。
 
ただし、学級の平均よりもやや下の生徒の理解度を基準とする必要があるため、授業内容はそれに準じた内容を選択する必要性が生じる。それ以下の子は取り残され、理解の早い子は足止めされて、しばしば「内容が簡単すぎる」「物足りない」という不満も出てくる。また個々の生徒の興味、関心、個人差には応えにくく、教師からの詰め込み型、押し付けになりやすいという問題もある。
== 一斉指導の利点と問題 ==
多少理解の度合いに差があるにせよ、一斉授業では児童・生徒の教育水準がほぼ均等化され、[[学力]]の差が生じる可能性が低い。よほど注意力が余所に向いていない限り、いわゆる落ちこぼれは発生しにくい。
ただし、学級の平均よりもやや下の児童・生徒の理解度を基準とする必要があるため、授業内容はそれに準じた内容を選択する必要性が生じる。それ以下の子は取り残され、理解の早い子は足止めされて、しばしば「内容が簡単すぎる」「物足りない」という不満も出てくる。また個々の児童・生徒の興味、関心、個人差には応えにくく、教師からの詰め込み型、押し付けになりやすいという問題もある。
 
そうした欠点は、[[グループ学習]](分団学習、小集団学習)や[[個別学習]]を平行して進めることで補う必要がある。
 
==関連項目 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
*[[カリキュラム]]
{{reflist}}
*[[教授法]]
 
*[[学級経営]]
== 参考文献 ==
*[[授業]]
* {{Cite book|和書|author=宮坂義彦|authorlink=宮坂義彦|editor=平原春好・寺崎昌男|title=新版 教育小事典 第3版|publisher=学陽書房|chapter=一斉授業|year=2011|page=9|isbn=9784313610330|ref=harv}}
*[[個別指導]]
 
== 関連項目 ==
* [[カリキュラム]]
* [[教授法]]
* [[学級経営]]
* [[授業]]
* [[個別指導]]
 
{{DEFAULTSORT:いつせいしとう}}