「吸江英心」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
準緑 (会話 | 投稿記録)
新規
(相違点なし)

2014年5月24日 (土) 18:43時点における版

吸江 英心(きゅうこう えいしん)は、戦国時代甲斐武田家の一族・僧侶

 
吸江 英心
時代 戦国時代
生誕 不詳
死没 天文24年1月5日1555年1月27日
幕府 室町幕府
主君 武田信虎晴信
氏族 武田氏
父母 父:武田信縄、母:不詳
兄弟 信虎、勝沼信友吸江英心大泉寺2世)、女子(小山田信有室)
テンプレートを表示

生涯

武田信縄の「次子」とされており、信虎のすぐ下の弟で、勝沼信友より年長者だった可能性がある[1]。信縄の命令で僧侶となり、天桂禅長弟子となっているため、かなり早くに僧侶にされたと推定されている[1](信縄死去の永正4年(1507年)以前)。

永正16年(1519年)に信虎が甲府に移ると、天桂を開山として、菩提寺として甲府大泉寺を建立し、自らは大泉寺2世となった[1]。英心は甥の武田晴信の時代である天文24年(1555年)1月5日に死去した[1]

脚注

註釈

出典

  1. ^ a b c d 柴辻俊六 著『武田信虎のすべて』新人物往来社、2007年、p.34

参考文献

書籍
史料