「トーマス・R・マーシャル」の版間の差分

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マーシャルの二期目中にアメリカ合衆国は[[第一次世界大戦]]に参戦した。ウィルソンはマーシャルを遊説に派遣し、国民を励まし戦争国債の購入と戦争に対する協力への演説を行わせた。これはマーシャルにとって適務であった。彼は副大統領の任期中に演説家としての報酬を得た。さらに彼はその任期二期目で内閣閣議を指揮する初の副大統領となった。ウィルソンは[[ヴェルサイユ条約]]に調印し、[[国際連盟]]設立の考えを示すためにヨーロッパ訪問する間に、この任務をマーシャルに託した。
 
ウッドロウ・ウィルソン大統領は数ヶ月来の穏やかな発作の後、1919年10月2日に厳しい発作により身体が麻痺し、執務の執行が不能となった。大統領の病状報告を受け、多数からの要請があったにもかかわらず、マーシャルはアメリカ合衆国初の大統領代行になることを望まなかった。大統領が執務不能になったことを宣言する過程は不明瞭であり、マーシャルはこれが先例となることを恐れていた。マーシャルはウィルソンの残りの任期中儀礼的執務を代行した一方、ウィルソンの任期終了までその容体を確認する機会を持とうとしなかった。このため国政はウィルソンの[[アメリカ合衆国のファーストレディ|ファーストレディ]]だったイーディスが夫の名を使って代行していた。
 
==副大統領職後==