「ペルーの歴史」の版間の差分

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{{See also|近代における世界の一体化#ラテンアメリカ諸国の独立}}
[[ファイル:Smartin.JPG|thumb|180px|right|アルゼンチン、チリ、ペルーの[[リベルタドーレス|解放者]]、[[ホセ・デ・サン・マルティン]]。]]
[[ファイル:Simón_Bolívar_2Bolivar Arturo Michelena.jpg|right|thumb|180px|アメリカ大陸の[[リベルタドーレス|解放者]]、[[シモン・ボリーバル]]。]]
 
19世紀に入り、[[ナポレオン戦争]]による[[ヨーロッパ]]での政変によって、スペイン本国で[[フランス帝国]]軍の軍事力を背景に[[フェルナンド7世 (スペイン王)|フェルナンド7世]]が廃位され、皇帝[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]の兄の[[ジョゼフ・ボナパルト|ジョゼフ]]がホセ1世として国王に即位すると、インディアス植民地は偽王への忠誠を拒否し、[[キト]]、[[ラパス]]、[[カラカス]]、[[ブエノスアイレス]]、[[ボゴタ]]、[[サンティアゴ・デ・チレ]]など各地でクリオーリョによる自治運動が進んだ<ref>[[#増田編(2000)|増田編(2000:183-192)]]</ref>。しかしペルーでは、ペルーのクリオーリョが、インディオ大衆による社会革命と化したトゥパク・アマルー2世の反乱の恐怖を忘れることが出来なかったために自治運動は進展しなかった<ref>[[#増田編(2000)|増田編(2000:192-193)]]</ref>。この情勢を幸いとしてペルー副王[[フェルナンド・アバスカル]]は、自治派クリオーリョが実権を握っていた[[アルト・ペルー]]の[[ラパス]]、[[キト]]、チリの[[サンティアゴ・デ・チレ]]に遠征軍を送り、在地のクリオーリョの自治政府を鎮圧した<ref>[[#細谷編著(2004)|細谷編著(2004:112)]]</ref>。[[ペドロ・ドミンゴ・ムリーリョ]]の反乱が鎮圧された後、アルト・ペルーは再びリオ・デ・ラ・プラタ副王領からペルー副王領に編入され、[[1810年]][[5月25日]]の[[五月革命 (アルゼンチン)|五月革命]]によって[[ポルテーニョ]]が自治政府を樹立したブエノスアイレスは、[[マヌエル・ベルグラーノ]]将軍を差し向けてアルト・ペルーを解放しようとしたが、アバスカルはこの解放軍による攻撃をも乗り切った。1814年にクスコから[[マテオ・ガルシア・プマカワ]]が蜂起し、しばらくシエラの主要部を占領したが、プマカワも敗れ<ref>[[#細谷編著(2004)|細谷編著(2004:112)]]</ref>、ペルーは外来勢力の二人の英雄に解放される形で独立を果たすことになった。
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