「荒勢永英」の版間の差分
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右四つからの激しい[[寄り (相撲)#がぶり寄り|がぶり寄り]]が特徴で、もみ上げも個性的で[[いごっそう]]を連想させる人気力士の1人であった。しかし横綱・[[北の湖敏満|北の湖]]に弱く、27連敗を記録した。また、[[立合い]]を合わせるのが下手で、「[[待った]]」の常連としてよく指弾された。[[1975年]]3月場所で[[三賞#敢闘賞|敢闘賞]]を受賞した時には、立合いの悪さから受賞を見送るべきだという意見が三賞選考委員会の席上で出た。また[[1976年]]7月場所8日目に[[若乃花幹士 (2代)|若三杉]](のちの横綱・2代若乃花)と対戦した時は「待った」を8回も繰り返し、[[勝負審判]]が土俵上に上がって両力士を注意する事態も起きた。その他、[[これより三役]]のそろい踏みの時にも西方の扇の要の位置にあって後ろが見えなかったためか、あっさりと3回四股を踏んだ後振り返ると後方の力士はまだ2回目の四股にかかっていたということもあった。
全盛期は[[1977年]]からの約2年間で、その間8場所連続[[三役]]を務めたこともあった。元来がぶりしか攻め手の無い荒勢であったが1977年9月場所には東関脇で11勝を挙げるとともに「がぶりも技術の一つである」と認められ
== エピソード ==
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