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{{Otheruses|[[キエフ・ルーシ]]期の歴史的部族|現代[[ロシア]]・[[ハバロフスク地方]]の民族|ウリチ}}
'''ウリチ族'''({{lang-uk|Уличі}}、{{lang-ru|Уличи}}、[[ベラルーシ語]]([[タラシケヴィツァ]]):{{lang|be|Улічы}})とは、8世紀から10世紀にかけて、[[ドニエ
『[[原初年代記]]』には、「ウリチ族とチヴェルツィ族[[:ru:Тиверцы|(ru)]]はドニエ
10世紀の前半に、ウリチ族は独立性の保持をかけて[[キエフ大公国]]と戦ったが、結果的にはキエフの政権を承認し、その領域はキエフ大公国の一部に組み込まれた。その後、ウリチ族と、領域を接するチヴェルツィ族は、共に領域の北方に到来した[[遊牧民族]]の[[ペチェネグ族]]に圧迫され、西方の[[ヴォルィニャーネ族]]と融合した。970年代以降の年代記上に、ウリチ族に関する記述はみられなくなるが、それはペチェネグ族に滅ぼされ、消滅したためであると思われる<ref>和田春樹『ロシア史』p18</ref>。
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