「ラモス瑠偉」の版間の差分

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== プロフィール ==
=== ブラジル時代 ===
[[1957年]][[2月9日]]、[[ブラジル]]の[[リオデジャネイロ]]から山側に70-80キロほど入るメンデスという小さな町で、サッカー好きな[[公認会計士]]の父フーベンと母マリアのハモス家の、5男1女の第4子として出生。父はサッカー狂であったが、母はサッカーに無関心で、息子フイのサッカー熱を嘆いていた。<ref>鈴木洋史 (1998), p22</ref>実家近くには、当たり前の様にサッカークラブがあり当たり前の様にサッカーに没頭した。兄らに混じって空き地や道路で球蹴りに興じ、定期巡回で訪れるサッカークラブのセレクションを幾度も受け続けるが尽く不合格。
 
[[1966年]]9歳のとき、父が他界し大きなショックを受け、父の死が受け入れられず憤慨して一時家を飛び出す<ref>鈴木洋史 (1998), p36</ref>。当時住んでいた家が、父親が会計士を務めていた会社の社宅だったため、実父の死亡に伴いリオから[[サンパウロ]]に住んでいた叔母の家に引っ越す<ref>鈴木洋史 (1998), p36-37</ref>。[[1975年]]、高校2年のときに母が「フイの気が狂った」と呆れるほどに連日に渡り、膨大な試合に参加。全てはサッカーに対する情熱と、プロになり金を稼ぎたいという思いだった。高校に通うのを中断し、ほとんどの時間をサッカーとアルバイトに明け暮れ、アマチュアの大会などに参加。しかし見た目が細身だった事から、ほぼ門前払いに終わった。18歳の終わり頃に、当時[[サンパウロ州]]1部リーグ中位から下位に位置していたサアジFCに入団<ref>鈴木洋史 (1998), p57</ref>。[[1977年]]1月、19歳の時に、当時[[読売サッカークラブ]](現[[東京ヴェルディ1969|東京ヴェルディ]])でプレーしていた[[ジョージ与那城]]にスカウトされる<ref>鈴木洋史 (1998), p59</ref>。母は「気が狂った」と息子フイの日本行きを嘆き呆れ、猛反対する。
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