「時局匡救事業」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
img
1行目:
[[File:Yamaguchi Dam 1.jpg|thumb|[[1933年]]([[昭和]]8年)度時局匡救事業として建設された[[山口ダム (愛知県)|山口川洪水調節池]]([[愛知県]][[瀬戸市]])<ref>山口十一郎「[http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/11-10/11-10-2225.pdf 山口川洪水調節池概要]」『[http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/11_10.html 土木建築工事画報 第11巻 第10号]』工事画報社、[[1935年]][[10月10日]]。画像は[[国立国会図書館]]蔵『[http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1908364/6 河水統制の提唱]』より。</ref>]]
'''時局匡救事業'''(じきょくきょうきゅうじぎょう)は、[[1932年]]([[昭和]]7年)から[[1934年]](昭和9年)にかけて、[[日本]]で実施された景気対策を目的とする[[公共事業]]である。国家財政から総額5億5,629万円、地方財政から総額3億858万円、合計8億6,487万円が投入され、各地で土木工事などが行われた。
 
23 ⟶ 24行目:
継続を望む声も強かったが、時局匡救事業としては予定通り3年間で終了した。しかしながら一部の事業は[[1935年]](昭和10年)以降も災害復旧費などの名目で続けられている。一方で[[ナショナリズム]]の台頭により軍事費は増大し続け、財政健全化を最後まで主張していた高橋是清が[[1936年]](昭和11年)の[[二・二六事件]]で殺害されると財政悪化に歯止めがかからなくなり、[[第二次世界大戦]]後の深刻な[[インフレーション]]につながっていくことになる<ref name="Takeuchi1"/>。
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references/>
{{Reflist}}
 
==参考文献==
31 ⟶ 33行目:
*竹内宏 『昭和経済史』 筑摩書房、1988年、ISBN 4-480-051163
*三和良一 『戦間期日本の経済政策史的研究』 東京大学出版会、2003年、ISBN 4-13-040195-5
 
== 関連項目 ==
* [[救済土木事業]]
 
{{DEFAULTSORT:しきよくきようきゆうしきよう}}