「ベルンハルト・ランガー」の版間の差分

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ランガーは[[ヨーロッパ]]のプロ[[ゴルフ]]界を代表する重鎮として、長年にわたり幅広い尊敬を集めてきた選手の1人である。これまでに[[欧州PGAツアー|ヨーロッパツアー]]で「42勝」を挙げ(米国・欧州ツアーの両方で優勝回数に数えられるマスターズを含む)、うちドイツ国内では「11勝」を挙げている。アメリカ代表チームとヨーロッパ選抜チームによる団体戦「[[ライダーカップ]]」の代表に通算10回選ばれ、[[2004年]]大会ではヨーロッパ選抜チームのキャプテンを務めて優勝に導いた。国・地域別対抗戦である[[ワールドカップ (ゴルフ)|ワールドカップ]]の代表も複数回務め、[[1990年]]と[[2006年]]の2度ドイツに優勝をもたらした。
 
[[1976年]]からヨーロッパ・ゴルフツアーに参戦を開始し、[[1980年]]の「ダンロップ・マスターズ」でプロ初優勝を達成。それ以来、ランガーは四半世紀以上にわたり、ヨーロッパで息の長い活躍を続けてきた。[[1983年]]に[[日本]]の[[カシオワールドオープンゴルフトーナメント|カシオワールドオープン]]で優勝。[[1985年]]の[[マスターズゴルフトーナメント|マスターズ]]で初優勝を挙げ、[[ドイツ]]人のゴルファーとして最初のメジャー大会優勝者に輝いた。[[1993年]]に同大会で8年ぶり2度目の優勝を飾る。93年大会でランガーは[[スコッティ・キャメロン]]が削り出しで作製したクラシック1という名のアンサー型のパターを使用し、ここからキャメロンのサクセスストーリーが始まったと評する人もいる<ref>ゴルフスタイル、2011年1月号、16頁(ゴルフスタイル社)</ref>。現在はヨーロッパツアー名誉会員であり、[[2002年]]に[[世界ゴルフ殿堂]]入りも果たした。
 
[[ワールドゴルフランキング]]が最初に発足したのは[[1985年]]であるが、当時のゴルフランキングは世界各地の賞金ランキングの“お飾り”のような位置づけしかなく、ほとんど効力を持っていなかった。ランガーは初代の「世界ランキング1位」になったが、そのポジションにあったのはわずか3週間のみだった。[[1999年]]に[[グランドスラム (ゴルフ)|メジャー大会]]や[[世界ゴルフ選手権]]の出場資格に「世界ゴルフランキング50位以内」が付加されるまで、現在のような重みはなかったのである。