「酒匂 (軽巡洋艦)」の版間の差分

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|搭載機||2機(射出機1基)
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'''酒匂'''(さかわ)は、[[太平洋戦争]]中に建造された[[大日本帝国海軍|日本海軍]]の[[軽巡洋艦]]で、[[阿賀野型軽巡洋艦|阿賀野型]]の4番艦。名前は静岡県および神奈川県を流れる[[酒匂川]]からとられている。戦争末期に竣工したため、作戦参加の機会もなく太平洋戦争終戦時は最後の水雷戦隊旗艦として[[舞鶴市|舞鶴七尾湾]]にて無傷で残存していた。終戦後は[[舞鶴市|舞鶴]]に回航され復員船として活動した。
 
==艦歴==
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上記にあるように、作戦参加の機会もなくもっぱら内地で訓練に従事していた。
 
1945年3月には僚艦の[[矢矧 (軽巡洋艦)|矢矧]]とともに[[天一号作戦]]に参加する予定となり呉に移動したが、直前になって酒匂の出撃は中止され、呉工廠岸壁に係留。燃料不足のため、陸上から電気を引きボイラーの火は消された状態となった。終戦時は[[舞鶴市|舞鶴七尾湾]]にて無傷で残存。1945年10月1日除籍。
 
1945年12月1日[[復員輸送艦|特別輸送艦]]に指定され釜山やニューギニアなどで復員輸送に従事。阿賀野型巡洋艦の定数乗組員900名に対し、この時点の酒匂には300名しか乗艦しておらず、武装を撤去し、甲板に居住区やトイレが設置された<ref>井川聡『軍艦「矢矧」海戦記』412-413頁「復員航海」</ref>。武装は15cm砲のみ撤去し、砲塔は残っていた。艦内秩序は維持され、同乗した豪州海軍の少尉が敬礼を求めると、大原艦長は「こっちは大佐だ」とやり返したという<ref>井川聡『軍艦「矢矧」海戦記』414頁</ref>。