「新田鎮実」の版間の差分

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'''新田鎮実'''(にったしげざね、生年不明-[[慶長]]5年([[1600年]]))は[[戦国時代]]から[[安土桃山時代]]頃の[[武将]]。[[豊後国]]の[[戦国大名]][[大友氏]]の家臣で後に[[柳河城]]主の[[立花宗茂]]の家臣。[[通称]]は太郎次郎、掃部介、平右衛門。父は新田氏景(遠江守)。母は星野弾左衛門の娘。弟に休意(新兵衛)、隈部善良(筑後入道)。夫人は麦生民部太夫の娘。子は佐田統春(清兵衛)。江上表の戦いで[[戦死]]。
== 出自 ==
先祖は新田義光(上野守)で[[鎌倉公方]][[足利基氏]]の没後に里見義胤(十郎)を頼って[[肥後国]]に下る。その後、義光は[[菊池武政]]より肥後国[[益城郡]]のうち3000貫を、また[[懐良親王]]より[[筑後国]][[生葉郡]]150町与えられる。その後、所領を失って、鎮実の父である氏景の代で大友氏幕下となる。