「キノエネ醤油」の版間の差分

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2014年6月3日 (火) 05:16時点における版

キノエネ醤油(子:キノヘ)は、天保元年(1830年)現千葉県野田市に創業する。 野田の市街地は当時から、「むらさきの郷」とも呼ばれていた。 「野田むらさき」とは醤油を現す色のことで、醤油の「深いえんじ色」を「むらさき」と呼んでいた。 利根川と江戸川とに挟まれたこの土地は、その昔、大豆・小麦の原料産地を背景に、これら二大河川の水運を利用して、一大消費地の江戸に醤油を送り届けるという醤油の生産地として大変めぐまれた立地条件が揃っていた。 さらに醤油醸造に適した良質の水が豊富だったことで反映した。

野田市の北端にある、関宿城付近は利根川と江戸川を水運する船の関所でもあった。 その後、水運を短縮するために現千葉県流山市と野田市の境界付近に利根運河を敷設。 野田市を囲む河川は古来から、水運に多いに役立てられたのである。