「ルートヴィヒ4世 (ヘッセン大公)」の版間の差分

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[[1877年]][[6月13日]]に伯父のルートヴィヒ3世が嗣子ないまま死去したため、ルートヴィヒ4世が大公位に即いた。この頃[[ボン]]で学んでいた[[ドイツ帝国|ドイツ]]皇太子ヴィルヘルム(後の[[ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム2世]])が次女の[[エリザヴェータ・フョードロヴナ|エリーザベト]]に求婚するが、エリーザベトが拒絶したうえ従兄妹同士にあたるということもあってこれは成立しなかった。
 
ルートヴィヒ4世は[[1878年]]に大公妃アリスに先立たれ、[[1884年]][[4月30日]]に Alexandrina Hutten-Czapska (1854年 - 1941年)愛人の[[アレクサンドリーナ・フッテン=チャプスカ]]と[[貴結婚]]した。ルートヴィヒ4世は彼女に対して Romrod ロムロート伯爵夫人の称号を与えた。しかしこの再婚は大きな問題になり、結局1年も経たないうちに彼女とはすぐに離婚することになった。
 
[[1892年]][[3月13日]]、ルートヴィヒ4世はダルムシュタットで死去した。