「ナコーンパノム県」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
4行目:
seal = Image:Seal Nakhon Phanom.png|
capital = ムアンナコーンパノム|
area = 5,512.7668|
population = 684710,444860|
population_as_of = 20002013|
density = 124128.95|
isocode = TH-48|
mapimage = 画像:Thailand Nakhon Phanom.png|
location = イーサーン|
}}
'''ナコーンパノム県'''('''ナコンパノム県'''とも) は[[タイ王国|タイ]]・[[イーサーン|東北部]]の県の一つ。
 
'''ナコーンパノム県'''('''ナコンパノム県'''とも)けん、[[タイ語]]:จังหวัดนครพนม) は[[タイ王国|タイ]]・[[イーサーン|東北部]]の県の一つ。
==地理==
* ナコーンパノム県はコーラート台地に位置し、[[メコン川]]に面している。メコン川には[[ターケーク郡|ターケーク]]との間で[[第3タイ・ラオス友好橋]]がある。
* [[ムックダーハーン県]]、[[サコンナコーン県]]、[[ノーンカーイ県]]と接し、[[ラオス]]の[[ボーリカムサイ県]]、[[カムムアン県]]、[[サワンナケート県]]と国境を有する。
 
==歴史 地理 ==
* ナコーンパノム県はコーラート台地に位置し、[[メコン川]]に面している。メコン川には[[ターケーク郡|]]とラオスの[[カムムアン県]][[ターケーク]]との間で[[第3タイ・ラオス友好橋]]がある。
* 北部イサーン地方から中央ラオスにかけての地域にSi Kottaboon文明があったことが知られている。ナコーンパノムはその中心地であった。
* 最初は「Si Kotrabun」という名前で知られていた。
* [[ラーマ1世]]によって「Maruka Nakhon」の名が与えられた。
* [[ラーマ2世]]によって「ナコーンパノム」の名が与えられた。ナコーンパノムとは山の都を意味する。
* [[ベトナム戦争]]中は、タイ軍と米軍の基地が作られ、ラオス国内の「[[ホーチミン・ルート]]」攻撃などが行われた。
* [[ベトナム戦争]]によって難民となり、ラオスから逃げてきたベトナム人が暮らしている地域がナコーンパノム市の一角にある。
 
* [[ムックダーハーン県]]、[[サコンナコーン県]]、[[ノーンカーイ県]]と接し、[[ラオス]]の[[ボーリカムサイ県]]、[[カムムアン県]]、[[サワンナケート県]]と国境を有する。
==県章==
 
== 歴史 ==
北部イサーン地方から中央ラオスにかけての地域にSi Kottaboon文明があったことが知られている。ナコーンパノムはその中心地であり、最初は「Si Kotrabun」という名前で知られていたが、[[ラーマ1世]]によって「Maruka Nakhon」の名が与えられ、その後[[ラーマ2世]]によって「ナコーンパノム」の名が与えられた。ナコーンパノムとは山の都を意味する。
 
* [[ベトナム戦争]]中は、タイ軍と米軍の[[基地]]が作られ、ラオス国内の「[[ホーチミン・ルート]]」攻撃などが行われた。[[ベトナム戦争]]によって[[難民]]となり、ラオスから逃げてきた[[ベトナム人]]が暮らしている地域がムアンナコーンパノム郡の一角にある
 
== 県章 ==
[[File:Wat Phra That Phanom.jpg|thumb|プラタート・パノム寺]]
{|
|- valign=top
||
||{{仮リンク|ワット・プラタートパノ|en|Wat Phra That Phanom|label=プラタート・パノム}}という[[仏塔]]がデザインされている。この仏塔は[[紀元前]]535年頃の建築と思われている。
 
県木・県花は {{snamei|Fagraea fragrans}} である。
|}
 
== 行政区分 ==
ナコーンパノム県は12の郡([[アムプー]])に分かれ、さらにその下位に97の町([[タムボン]])と1040、1,123の村('''[[ムーバーン''']])がある。
{|
|---valign=top
58行目:
{{タイの県}}
[[Category:ナコーンパノム県|*]]
[[Category:タイの県|なこぱとはのけん なこーんぱとむけん]]