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'''井上 通女'''(いのうえ つうじょ 、[[万治]]3年[[6月11日(1660 (旧暦)|6月11日]]([[1660]][[7月18日)]]) - [[元文]]3年[[6月23日 (1738(旧暦)|6月23日]]([[1738]][[8月8日))]])) は、[[江戸時代]][[歌人]]。幼名は「初」 。別名に振、玉、感通。[[井上儀左衛門]]の娘。
 
父親の儀左衛門は[[朱子学|朱子]]派の儒者であった。母親は渡辺孫左衛門の娘栄林尼(名前は栄)。
 
母親からから和歌、堀江治部斎から書道を学び、年齢一桁の若い頃から学問に通暁、16~1716~17歳の時、著書「処女賦」・「深閏記」を執筆。
 
22歳の時、当時の[[丸亀藩]]主・[[京極高豊]]の母・養性院に出仕することとなり、彼女に随伴して江戸へ向かう。この道中で「[[東海日記]]」を執筆。江戸での在住中に「[[江戸日記]]」を執筆する。
 
30歳の時、養性院が没する。それに伴い、帰郷する。道中、「[[帰家日記]]」を執筆した。
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1710年、夫宗寿が没する。家の名跡は[[三田宗衍]]が継承した。通女はその後、末子の[[三田義勝]]を貢献しながら文芸活動を続ける。1738年、79歳で没。
 
通女の執筆した「東海日記」「江戸日記」「帰家日記」は、三日記と呼ばれ、「江戸文学の粋」と称された。この三日記は、その後、[[丸亀市]]により150万円で購入され<ref>[http://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/administration/20131129000147 井上通女直筆の「江戸日記」購入/丸亀市(四国新聞社)]</ref>2014年1月から3月まで期間限定で公開されたこともある<ref>[http://www.rnc.co.jp/news/index.asp?nwnbr=2014011004 井上通女の直筆日記 特別公開 (RNC西日本放送ニュース) ]</ref>。
 
== 脚注 ==
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*[http://kotobank.jp/word/%E4%BA%95%E4%B8%8A%E9%80%9A%E5%A5%B3 コトバンクより『井上通女』]
 
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[[Category:讃岐国の人物]]
[[Category:1660年生]]