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 明治43年6月の段位規定づくりに励むと共に、関西遠征(明治44年1月)による、その後の段位規定の改正(明治44年9月)、競技規定など、連珠界の基盤づくり・全国統一に貢献した。<ref>三上義太郎(雄石), 『聯珠案内』, 聯珠新報社, 大正3年, 10頁</ref>
 
 明治45年に専門連珠家となってより、精力的に著作活動を進めて、連珠の普及に努めると共に、その技術を後世に伝承した。
 
 大正7年(1918年)10月27日、東京聯珠社の楼上で、聯珠の手合の審判を務めている最中に、