「齋藤和」の版間の差分

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[[1975年]][[5月19日]]朝8時ごろ、居住していた[[亀戸]]のツタバ・マンションで就寝中、踏み込んできた[[警察官]]に内縁の妻浴田由紀子と共に[[逮捕]]される。齋藤は逮捕後、[[警視庁]]に連行される間に、自決用に隠し持っていた青酸カリ入りカプセルを服毒して自殺を図り、同日死亡<ref>『でもわたしには戦が待っている』P140〜P144 “カプセルのこと”</ref>(自殺用に持っていた[[シアン化カリウム|青酸カリ]]は[[大道寺あや子]]が勤務先から盗んだもの)。この自殺により、齋藤のみが握っていた情報・事実は闇に葬られることとなった。
 
同部隊のメンバーとして一連の事件に関わったとされる浴田由紀子は、自供を引き出すための作戦として、齋藤の自殺を翌日取調べ中に警察官から聞かされ、「夫殺し!」「同志殺し!」といった誹謗中傷を受けたと、と思いきや、「革命に殉じた」と言われたり<ref>『狼煙を見よ―東アジア反日武装戦線“狼”部隊』 松下 竜一著 ([[河出書房新社]]、1987年)</ref>、四十九日にはおはぎの差し入れを受けたという<ref>『でもわたしには戦が待っている』 風塵社</ref>。また弁護側は、齋藤が存命であれば主導的役割を負っていなかった浴田への[[無期懲役]]の[[求刑]]及び[[懲役]]20年の[[判決]]はありえないとした。
 
大学時代の友人で、捜査陣に共犯の疑いを持たれていたミュージシャンの[[竹田賢一]]は自身のユニットA-Musikの[[1984年]]のアルバム「エクイロジュ」の収録曲『反日ラップ』で東アジア反日武装戦線の[[三菱重工爆破事件]]の犯行声明をラップにしている。