「モチェ文化」の版間の差分

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m トゥンバガは、金と、錫だけでなく銀、銅、砒素などの合金を指す。
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[[画像:Five-Phase Seriation of Moche Stirrup-SpoutBottle.JPG|thumbnail|270px|right|ラルコ・オイレによる鐙型注口土器の五区分編年。]]
 
'''モチェ文化'''(モチェぶんか;Moche)は、[[ペルー]]北海岸にそそぐ[[モチェ川]]から名称をとられた紀元前後からA.D.700頃まで繁栄した[[インカ]]に先行する[[プレ・インカ]]と呼ばれる高度な文化のひとつである。「モチーカ」と呼ばれることも多いが研究者の間では、スペイン人到着時に北海岸の住民が話していた言葉(ムチック語)の名称ということで避ける傾向が強い。モチェは、美しく彩色され、写実的に人面、動物、作物などを象った[[鐙型注口土器]]と[[黄金]]や[[トゥンバガ]](金と錫、銀、銅、砒素低カラット合金)細工などのすばらしい副葬品で知られる。モチェ文化が繁栄したのは、モチェ川のほか、その北方を流れるラ・レチェ川流域から南は中部海岸のワルメイ川流域までの500kmの範囲に及んで、一つか二つの谷にまたがるいくつかの国家<ref>[[首長制]]なのか[[君主制]]なのか厳密な定義が難しいので研究者間ではしばしば「政体」 (Policy) と呼ばれる)。</ref><ref>その地域の統一的な国家ではなく、宗教イデオロギーや宗教芸術を共有したと考えられる。ただし、モチェⅣ期の600年頃、統一的な国家が成立したと考える研究者もいる。増田義郎「先スペイン期の南アメリカ」26ページ(増田義郎編『新版世界各国史26 ラテン・アメリカ史Ⅱ 南アメリカ』山川出版社)</ref>の形態をなしていたと考えられている。
==生業==
モチェの人々は、[[灌漑農業]]を行っていて数キロメートルにわたる運河が建設されることも珍しくなく、[[ラ・クンブレの運河]]と呼ばれるものは、110km以上にも達した。また数百立方メートルにも及ぶ貯水槽なども造られた。栽培された植物は、[[とうもろこし]]、[[豆]]、[[ラッカセイ|ピーナッツ]]、[[ジャガイモ]]および[[チューニョ]](乾燥ジャガイモ)、[[唐辛子]]、[[タピオカ]]の甘い種類、[[ヒョウタン]]、[[キュウリ]]などであり、多くは、[[土器]]にもかたどられている。また、とうもろこしからつくられる[[チチャ]]酒も造られていた。漁業、狩猟、採集、交易も行われ、狩猟の様子は土器にも描かれた。[[家畜]]の[[テンジクネズミ|モルモット]]や[[アヒル]]が食糧だったこと、葦舟で漁を行ったことなどが知られている。