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中央軍
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(中央軍)
[[15世紀]]に[[トレビゾンド帝国]]が[[オスマン帝国]]に滅ぼされると他のギリシャ人居住地域の大部分と同じく異教徒による支配を受けるようになった。ポントスの東方正教徒は[[20世紀]]初頭までムスリムや[[アルメニア使徒教会|アルメニア正教徒]]と混じりあって居住していたが、[[19世紀]]以降、[[ギリシャ]]の独立に触発されて一部のポントス人はギリシャ民族運動を開始した。
 
[[第一次世界大戦]]中、オスマン帝国領の黒海沿岸を占領した[[ロシア]]が[[ロシア革命]]により混乱したのをきっかけに、ポントス共和国の建設が目指された。しかし、もともとこの地域でポントス人は人口的に多数派ではなかったため十分な勢力を築くことができず、[[アンカラ]]の[[トルコ大国民議会]]政府([[トルコ革命]]政権)の[[中央軍 (トルコ)|中央軍]] ([[:en:Central Army (Turkey)|Central Army]])に攻撃されると敗北して、一部の人々は[[ソビエト連邦]]領に逃れた。一方、同じ時期にアナトリア半島西南部の[[エーゲ海]]沿岸地方で戦っていたギリシャとトルコが休戦後に住民交換協定を結んだことによりトルコ領内に残った東方正教徒の人々は、ギリシャ人としてギリシャに追放された。1965年の時点で、トラブゾン、リゼ、ギュムシュハーネなどの各県に合計4,535人の[[ギリシア語ポントス方言]]話者が記録されている。
 
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