「逸見政孝」の版間の差分

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手術から1ヶ月後の同年2月25日に退院。翌日には『夜も一生けんめい。』の収録で仕事復帰。当初は、病名を穿孔性[[十二指腸潰瘍|十二指腸潰瘍]]と偽って公表していた。退院後も、抗ガン剤投薬や前田外科病院への検査通院を続け、同年春から新番組も始まったことで逸見は再び軌道に乗り始めたかに思えた。
 
しかし、同年5月下旬頃になると、メスを入れた手術跡の線上が[[ケロイド]]状に膨れ始めた。担当医からは「通常、手術後に起こる症状であるから心配ない」と言われたものの、その突起物が次第に大きくなり、やがて服を着るにも邪魔な程になってしまった。逸見のスケジュールの都合で、夏休み中の同年8月12日にその突起物を除去するという名目で2度目の手術を受けたが、癌は既に腹腔全体に広がるまでに進行しており、もはや手のつけようがない状態だった。だが、そのような状態であったにもかかわらず、執刀医は本人に癌の再発を一切告知しなかった(晴恵夫人はガン再発を告知するよう依頼するも、執刀医は「逸見との信頼関係を崩すから告知しない」と断固拒否されたという)。その一方で、同時期に米国で医師のゴンザレスによるビタミン治療も検討されていたが、渡米前夜になって突然先方の医師から一方的に治療をキャンセルされてしまう。
 
当時の逸見は、前田外科病院には全幅の信頼を置いており、晴恵や所属事務所社長の三木治など、何度も周囲から別の病院での診察を勧められても全く聞き入れず(晴恵には「自分が決めたことに対して一切口出しするな!」と激怒することもあったという<ref>二十三年目の別れ道―はじめて明かす夫・逸見政孝の闘病秘話とそれからのこと(逸見晴恵・著)、フジテレビ出版、1994年 </ref> 。また、当時は[[セカンド・オピニオン]]という概念がまだ一般化していなかった) 、加えてこの時期にはレギュラー番組を週5本も抱えていたこともあり、極めて多忙な日々を送っていた。
 
=== ガン再発と告白会見、そして闘病期 ===