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== 来歴 ==
[[1946年]]に[[ニューヨーク]]ワシントンハイツに産まれる。3歳から著名な振付師、タップマスターのヘンリー・レタンに師事し、8歳で兄のモーリス・ハインズと『The Hines Kids』として活動を始める。1964年にミュージカル『The Girls in Pink Tights』でブロードウェイデビューを果たす。ツアー公演には父親もドラマーとして参加し、その後は『Hines, Hines & Dad』として活動を続ける。
[[1946年]]に[[ニューヨーク]]に生まれる。幼少の頃より、兄と共にタップダンスに携わり、振付師の元で音楽の勉強をした。その後、兄と父と組んでシンガーとして“ハインズ・ハインズ・アンド・ダッド”というバンドを結成。[[1986年]]には[[R&B]][[歌手]]の[[ルーサー・ヴァンドロス]]とのデュエットも実現した。音楽業界での成功のみならず、[[俳優]]としてテレビドラマや映画にも出演。また[[1954年]]に[[ブロードウェイ]]デビューも果たしており、[[1979年]]には見事[[トニー賞]]を受賞。その他、映像面においても[[1999年]]に[[デイタイム・エミー賞]]を受賞し、[[エミー賞]]には4回ノミネートされた。
1970年代に入ると一時タップから離れるが、約5年を経て再び1978年には兄と共ににヘンリー・レタン振付のミュージカル『Eubie!』に出演し、トニー賞にノミネートされる。1979年に『Comin’ Uptown』、 1981年に『Sophisticated Ladies』に出演。1992年の『 Jelly’s Last Jam』にて[[セビアンン・グローバー]]を起用。トニー賞を受賞する。
 
1984年には[[フランス・フォード・コッポラ]]監督の映画『Cotton Club』 に出演。1989年には映画『TAP』にて[[サミー・ディヴィスJr.]]、サンドマン・シムズ、ジミー・スライド、バニー・ブリッグスらタップマスター達と共演し、主演を務めた。
[[2003年]]、[[肝細胞癌]]のため57歳で死去。
 [[2003年]]8月9日癌により57歳で死去。亡くなる直前までタップダンスの普及に貢献続けていた。
 
== 出演作品 ==