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| birth_date = 1866年9月3日
| death_date = {{Death date and age|1925|1|18|1866|09|03|df=yes}}
| school_tradition = [[イギリス理想主義|イギリス観念論]]
| main_interests = [[形而上学]], [[倫理学]], [[宗教哲学]]
| influences = [[ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル]], [[トーマス・ヒル・グリーン]].
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}}
 
'''ジョン・マクタガート'''('''John McTaggart''' [[1866年]][[9月3日]] - [[1925年]][[1月18日]])は[[観念論]]的[[形而上学]]者。マクタガートは生涯のほとんどを[[トリニティ・カレッジ (ケンブリッジ大学)]]の研究員・教員として送った。彼は[[ヘーゲル]]哲学の解釈を行った、代表的な[[イギリス理想主義|イギリス観念論]]者である。
 
==生涯==
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マクタガートの初期の研究は、ヘーゲルの形而上学の方法とその結論およびそれらを他の分野に応用することに対する説明と批判に向けられた。彼の最初に発表された著書「ヘーゲル弁証法の典型(Studies in Hegelian Dialectic)」(1896年)はトリニティー・カレッジでフェローシップを獲得した学位論文を発展させたものであり、大論理学でのヘーゲルの弁証的方法に焦点を合わせている。彼の第2の著書「ヘーゲル宇宙論の典型(Studies in Hegelian Cosmology)」(1901年)は、ヘーゲル及び初期の新ヘーゲル学派がヘーゲル思想を倫理学、[[政治学]]、[[宗教]]に適用したことに対する批判により集中している。この著書ではたくさんの マクタガート独自の理論、例えば彼の不死に対する信仰が登場する。彼の最後の著書は明らかにヘーゲルに向けられた「ヘーゲルの大論理学に関する評論(A Commentary on Hegel's "Logic")」([[1910年]])というタイトルである。この著書では大論理学の主張を説明し、ある程度まで擁護することが試みられた。
 
彼は、ヘーゲルの見地と同じだと広く解釈され共有された弁証的方法を擁護したが、マクタガートのヘーゲル主義は無批判的であったわけではなく、彼はヘーゲル自身や初期の[[新ヘーゲル学派]]にははっきりと反対している。彼は、ヘーゲルの主張の具体的特徴の多くは重大な欠陥があり、ヘーゲルの抽象的な思想を応用することは退行するも同然だと強く思っていた。しかし、彼は決して前の世代の[[イギリス理想主義|イギリス観念論]]者と同じ結論に達したわけではなく、彼の後期の著作は著しく異なった独自の観点から述べられている。それでもなお、彼がそれ以前の形のヘーゲル主義から断絶しているにもかかわらず、マクタガートは、それ以前のヘーゲル主義者たちのように彼にとって絶対的な思想である、究極的な実在の本性を把握する[[アプリオリ]]な思想の能力を枢要なものだと信じることを先達から受け継いでいた。実際、彼の後期の作品と成熟した体系は、彼の絶対性という新しい概念を実質的なものとする試みに主にあてられている。
 
==「時間の非実在性」 (1908)==
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== 関連項目 ==
{{wikisource author|J. M. E. McTaggart}}
* [[ヘーゲル]]
* [[イギリス理想主義|イギリス観念論]]
* [[新ヘーゲル派]]
 
==参考文献==