「ジェームス・ハチソン・スターリング」の版間の差分

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'''ジェームス・ハチソン・スターリング'''('''James Hutchison Stirling''', [[1820年]][[1月22日]] - [[1909年]][[3月19日]])は、[[スコットランド]]の[[哲学者]]である。イギリスにおける[[ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル|ヘーゲル]]主義者([[観念論]])として知られ、イギリス哲学の伝統と言える[[経験論]]に対抗した。主著『ヘーゲルの秘密』はイギリスにおける[[観念論]]研究への道を大きく広げた。[[イギリス理想主義|イギリス観念論]]を語る上で欠くことのできない人物である。
 
ジェームス・ハチソン・スターリングは[[グラスゴー]]で生まれ、[[医学]]と[[哲学]]を[[グラスゴー大学]]で学ぶ。その後哲学に専念することを決め、[[フランス]]と[[ドイツ]]に留学した。1888年から1890年では[[ギフォード講義]]で教鞭をとる。(タイトルは「哲学と神学」)[[エディンバラ大学]]より古典文学博士号を取得した。ベルリン哲学教会の外国人メンバーになる。[[イマヌエル・カント|カント]]からヘーゲルに至る[[ドイツ観念論]]の哲学に業績が多く、[[ジョン・マクタガート]]や[[トーマス・ヒル・グリーン]]と並び、イギリスにおける観念論哲学の代表的な人物となった。