「繆雲台」の版間の差分

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[[1946年]](民国35年)1月、[[重慶市|重慶]]で開かれた[[政治協商会議]](旧政協)に、繆雲台は「社会賢達」(無党派人士)の身分で参加した。この際に繆は、[[国共内戦]]に反対する姿勢を明らかにした。前年に竜雲が失脚し、それを後継する形で雲南省政府主席に[[盧漢]]が任命されると、繆雲台は盧漢を支持した。[[1947年]](民国36年)5月、繆雲台は[[雲南人民企業公司]]を設立して、国民政府中央の経済主体への対抗姿勢を明らかにする。このようにして、盧漢による「雲南[[モンロー主義]]」的な統治を後押しした。
 
[[1949年]](民国38年)、盧漢が[[中華人民共和国]]に帰順すると、繆雲台は[[香港]]へ移住した。さらに[[アメリカ合衆国]]へ出国して、[[1955年]]に[[アメリカ合衆国の市民権|米国籍]]を取得した。しかし、[[関係]]が改善されるに従い、繆は帰国を望むようになる。[[1979年]]6月、米国籍を放棄して帰国した。
 
中華人民共和国でも、繆は経済の専門家として厚遇された。[[全国人民代表大会]]常務委員、同憲法改正委員、[[中国人民政治協商会議|全国政治協商会議]]副主席、対外貿易経済部特約顧問、[[中国国際信託投資公司]](CITIC)理事などを歴任している。
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