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'''雄風王'''(おかぜおう、[[弘仁]]5年([[814年]]) - [[斉衡]]2年[[6月26日 (旧暦)|6月26日]]([[855年]][[8月12日]]))は、[[平安時代]]初期の[[皇族]]。[[桓武天皇]]の孫。[[品位 (位階)|二品]]・[[万多親王]]の四男。子に[[平定相]]がいる。[[官位]]は[[従四位|従四位下]]・[[馬寮|左馬頭]]。
 
== 経歴 ==
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[[斉衡]]2年([[855年]])6月26日[[崩御#卒去|卒去]]。[[享年]]42。最終[[官位]]は[[散位]]従四位下。卒去にあたって文徳天皇に非常に哀れみ悼まれたという<ref name="a" />。[[貞観 (日本)|貞観]]4年([[862年]])兄弟の[[正躬王]]の[[上表]]により子息の[[平定相|定相王]]が[[平氏|平朝臣]]姓を与えられ[[臣籍降下]]している<ref>『日本三代実録』貞観4年4月20日条</ref>。
 
== 人物 ==
奥深く静かな性格で、頭の働きがすばやかった。立ち居振る舞いが淑やかで優雅であり、心が広くてゆったりしていた。また、[[鷹狩]]や乗馬を非常によく習得していたという。<ref name="a" />
 
== 官歴 ==
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*[[仁寿]]2年([[852年]]) 正月15日:[[馬寮|左馬頭]]
 
== 人物系譜 ==
*父:[[万多親王]]
奥深く静かな性格で、頭の働きがすばやかった。立ち居振る舞いが淑やかで優雅であり、心が広くてゆったりしていた。また、[[鷹狩]]や乗馬を非常によく習得していたという。<ref name="a" />
*母:不詳
*妻:不詳
**男子:[[平定相]]
**男子:平有相
**女子:[[橘広相]]室<ref>「橘氏系図」(『群書類従』 巻第63所収)</ref>
 
== 脚注 ==