「レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム家」の版間の差分

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[[File:Hans Baldung 021.jpg|thumb|レーヴェンシュタイン伯ルートヴィヒ1世(1463年 - 1523年)]]
[[File:Grafschaft Wertheim Janssonius.jpg|thumb|17世紀のヴェルトハイム伯領]]
'''レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム家'''('''Löwenstein-Wertheim''')は、[[ドイツ]]の上級貴族の家系。[[ヴィッテルスバッハ家]]の[[プファルツ選帝侯領|プファルツ選帝侯]][[フリードリヒ1世 (プファルツ選帝侯)|フリードリヒ1世]]を始祖とする。
 
== 歴史 ==
[[プファルツ選帝侯領|プファルツ選帝侯家]]の三男だった[[フリードリヒ1世 (プファルツ選帝侯)|フリードリヒ1世]](無敵公)は、兄の選帝侯[[ルートヴィヒ4世 (プファルツ選帝侯)|ルートヴィヒ4世]]の死後、その幼い一人息子[[フィリップ (プファルツ選帝侯)|フィリップ]]の後見人となり、1451年にはフィリップを自分の養子にすると、自ら選帝侯位に就くという越権行為を犯した。選帝侯位を横領したフリードリヒは、後継者である甥フィリップのために生涯独身を貫くことを誓約した。
 
しかし、フリードリヒ1世は1459年頃にアウクスブルクの市民の娘クララ・トットと恋仲になり、2人の息子、フリードリヒ(1460年 - 1474年)とルートヴィヒ(1463年 - 1523年)をもうけ、1472年にはクララと[[貴賤結婚]]した。息子たちには当然ながら選帝侯家の相続権も家名を名乗る資格もないため、この結婚は問題にならなかった。