「寺西勇」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Ujiq11 (会話 | 投稿記録)
36行目:
*「俺は自分の役割を分かっている。俺はやられ役で俺が勝ってもしょうがない」と自分の[[ポジション]]を理解してプロレスをやっていた。
*1973年、第5回IWAワールドシリーズで国際プロレスのエースでIWA世界ヘビー級王者の[[ストロング小林]]から逆さ押さえ込みでフォール勝ちしている。小林は予選落ちとなり、ラッシャー木村が優勝した。
*1979年7月に初来日した[[ダイナマイト・キッド]]の来日第一戦の相手を務めている。
*[[阿修羅原]]のデビュー戦の相手を勤めたが、「甘やかしすぎてもいけないし潰してしまってもいけない難しい試合だった」と語っている。
*国際プロレスが[[新日本プロレス]]と対抗戦を始めた際の第一戦が寺西・[[アニマル浜口]] vs. [[長州力]]・[[木戸修]]戦であり、両団体とも何かあった時に対処できるシュートの強い選手を出してきている。