「上ノ国町」の版間の差分

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上ノ国は北海道で最も早い時期に和人が定住した地であるとされる。1189年、[[源頼朝]]が奥州の藤原氏を攻めた際に、糠部や津軽の人々が上ノ国付近まで逃れたという。
 
鎌倉時代以降蝦夷地は[[安東氏]]の管轄とされたが、本格的に蝦夷地の支配に乗り出したのは15世紀初頭、渡島半島各地に砦を築いて以降のことである。この砦は「館」(たて)と呼ばれ、この時期築かれた12余りの館は「[[道南十二館]]」と総称されている。このとき函館の周辺は「下之国」、上ノ国や江差の周辺は「上之国」と称された。これが町名の由来である。このころの上ノ国は松前や箱館とともに蝦夷地を代表する港であり、十二館の一つとして作られた花沢館は「上之国」地域の中心拠点として機能した。
 
1456年には[[コシャマイン]]率いるアイヌ人の蜂起があり、和人の諸館が次々に陥落したが、花沢館主・蠣崎季繁の客将であった[[武田信広]]が指揮する軍がコシャマインを討ち取り、これを平定した。信広はこれを機に蠣崎家を継ぐこととなる。信広は花沢館の近傍に[[勝山館]]、洲崎館を築き、上ノ国は蠣崎氏による蝦夷地支配の拠点となった。
 
1514年、二代の光広は松前に本拠を移したが、勝山館に城代を置いた。その後も上ノ国は檜山地域の政治・経済・軍事の中心であったが、江戸時代に入った1678年、江差に檜山番所が作られると拠点機能も江差へと移り、上ノ国の役割は次第に小さくなっていった。
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==== 史跡 ====
* 上之国館跡 花沢館跡([[道南十二館]]のひとつ)・洲崎館跡・[[勝山館]]
 
==== その他 ====
* 砂館神社本殿 - 洲崎館跡にある。道指定有形文化財
* 上ノ国八幡宮本殿 - 上ノ国町指定有形文化財
* 清浄寺本堂 - 上ノ国町指定有形文化財