「三井八郎右衛門」の版間の差分

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== 4代高美 ==
'''三井 高美'''(みつい たかよし)は三井家4代目当主。([[1715年]](正徳5) - [[1782年]](天明2))。幼名は万蔵。1733年に勘右衛門を名乗り、翌年父の剃髪とともに、北家を継承、1736年には新八と改名、1738年には京都為替店名前である三郎助を継承、1741年に新町家の高方の死亡を受けて八郎右衛門を継承する。ところが、美術品などの蒐集や[[西教寺]]への多額の寄進などによって大元方から多額の借財を抱え、当時健在であった高房の意向で1747年に八郎右衛門の名を実弟である新町家の新弥へ譲らされる。1750年、次男の高清に北家を譲って出家するが、その後も浪費は収まらず、1756年(宝暦6年)8月には一族からの銀1200貫目を手切金として一族からの離脱を表明する。だが、それでも、秘かに大元方からの借財を重ねていたことが発覚、同年閏11月13日後を継いだ高清(当時は新八)よりの申し入れで一族からの義絶・追放が決定され、同月27日には一族・手代83名の同意を得て義絶を決定する申渡印形帳が出されることになった<ref name=kagawa/>。
 
== 新町家・高弥 ==