「ベネッセアートサイト直島」の版間の差分

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[[直島町]]は、島の南端の風光明媚な地区を秩序だった文化的な観光地にしようと[[藤田観光]]を誘致し、キャンプ場を[[1960年代]]後半の観光ブームの時期にオープンさせたが、[[瀬戸内海国立公園]]内のため大規模レジャー施設にするには制約があり、[[オイルショック|石油ショック]]後は業績が低迷し撤退した。その後に福武書店(現・[[ベネッセコーポレーション]])創業者の福武哲彦と当時の町長・三宅親連が「直島文化村」づくりで意気投合、[[1989年]]に研修所・キャンプ場が安藤忠雄のマスタープランでオープン。さらにホテル・美術館建設が[[1992年]]に完成するなど拡大する。
 
当初美術館は浮き気味で町民の関心も薄かったが、町民の招待、島全体を使った現代美術展、本村「家プロジェクト」などを重ねることで、徐々に活動が町内の理解を得られるようになった。現在は、ベネッセハウスは町民の宴会や結婚式場の二次会場ともなっている(家プロジェクト第1弾の「角屋(かどや)」を創る時、アーティストの[[宮島達男]]は町民125人を公募して、作品を構成する125個の[[ジタル]][[カウンタ (電子回路)|カウンター]]の点滅速度を一人一人にセッティングしてもらい、地域住民参加という手法を取ることで現代アートという異質なものが保守的な土地に入って来ることに対する町民の反感、抵抗を払拭した)。
 
===ベネッセハウス活動の推移===