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'''お見立て'''(おみたて)は[[古典落語]]の演目の一つ。原話は、[[文化 (元号)|文化]]5年([[1808年]])出版さ東京で演じらた[[笑話本]]・「噺の百千鳥」の一遍であ『手くだの裏』。別題は'''墓違い'''(はかちがい)
別題は「墓違い」。
 
== 概要 ==
主な演者として[[春風亭柳橋 (6代目)|6代目春風亭柳橋]]や[[古今亭志ん朝|3代目古今亭志ん朝]]が、現代では[[桂歌丸]]や[[古今亭志ん輔]]などが得意としている。
[[吉原遊廓]]を舞台にした、いわゆる「廓噺(くるわばなし)」のひとつ。原話は、[[1808年]]([[文化 (元号)|文化]]5年)に出版された[[笑話集|笑話本]]『噺の百千鳥』の一編「手くだの裏」。主な演者に[[春風亭柳橋 (6代目)|6代目春風亭柳橋]]、[[古今亭志ん朝|3代目古今亭志ん朝]]、[[桂歌丸]]、[[古今亭志ん輔]]らが知られる。
 
登場人物の[[遊女]]・喜瀬川[[花魁]]の名は『[[三枚起請]]』『[[五人廻し]]』などにも登場する。
 
== あらすじ ==
演者はまず、かつての吉原遊廓における、遊女たちが妓楼の大きな格子窓から、通りに向かって姿を見せて客を呼ぶ「張り見世」と呼ばれたシステムについて説明する。夕方の午後6時ごろから、午後10時過ぎの「お引け」(楼内の座敷での食事オーダーの終了)時の「引け四ツ」の[[拍子木]]の合図まで、男性店員の妓夫(ぎゆう。俗に牛太郎と呼ぶ)が、「よろしいのをお見立て願います」と口上を言いながら通行人に遊女を品定めさせ、客を引いていたという。
かつて三人の男を手玉に取り、大騒ぎになりかけたという『'''[[三枚起請|前科]]'''』を持つ喜瀬川のところへ、若い衆の喜助が飛び込んできた。
 
「お客ですよ」
<br>「ハイハイ。で、誰?」
<br>「杢兵衛(もくべえ)お大尽です」
<br>「…、え?」
 
杢兵衛は[[流山市|流山]]の大金持ち。喜瀬川にばかな惚れようで、自分が嫌われているのをまったく気づかないから始末に負えない。
<br>「そこは商売、なんとか顔だけは…」と喜助に言われても、嫌なものはやはり嫌。
 
仕方がないので、'''『花魁が危篤です』'''と告げ、追い返すように喜助に頼んだが…。
 
「駄目でした」
<br>「如何してさ?」
<br>「《[[危篤]]》って言ったんですが、これがいっこうに怯まないんですよ。それどころか、'''『病気なら、見舞いに行ってやんべえ』'''って…」
 
喜瀬川は唖然。とうとう面倒くさくなって、「『私は死にました』って、あの馬鹿に言って」と命令した。
 
「花魁は先月の今日、お亡くなりになりました」
<br>「ほんとーか!?」
<br>「息を引き取る時に、'''『喜助どん、わちきはこのまま死んでもいいが、一目、杢兵衛大尽に会いたいよ』'''って。ウッ…ウッ…」
 
花魁に指示されたとおり、湯飲み茶碗のお茶を指先に付け、目を覆うしぐさで目じりにつけて大熱演。
 
「泣いているのか? 目から[[茶殻]]が…」
<br>「え!? ア…さっき、お茶を持ってきたときに、指先についていたのが移ったんでしょう」
 
悲哀を誘うよう仕草たっぷりで演じたので、お大尽はすっかり信じ込んでしまった。
 
これで一件落着…かと、思いきや。
 
'''「墓参りにいくべ。[[墓]]は何処だ?」'''
 
困ったのは喜助。喜瀬川に相談すると…。
 
「かまやしないから、[[山谷]]あたりのどこかの[[寺院|寺]]に引っ張り込んで、どの墓でもいいから『喜瀬川花魁の墓でございます』って言えば…」
 
お小遣いをあげると言われ、しかたなく大尽を案内して、山谷のあたりにやってくる。
 
「喜瀬川の宗旨は何だね」
<br>「へえ、その、[[禅宗]]で…」
<br>「じゃあ、ここだな」
 
お大尽がとある寺を指差したので、喜助は覚悟を決めて入っていった。
 
「お[[花]]と[[線香]]。ア、線香はなるたけ煙の出るものを、お花は大盛りにして…」
 
中に入ると、墓がずらりと並んでいる。いいかげんに一つ選んで「へえ、この墓です」。
 
杢兵衛お大尽、涙ながらに線香をあげ、ノロケを言いながら『[[南無阿弥陀仏]]、ナムアミダブツ』…。
 
「ゲホ…ゲホ…!! 線香のたきすぎだぁ!」
 
火事場みたいな煙を[[扇子]]で払い、ひょいと[[戒名]]を見ると…。
 
'''【養空食傷信士、[[天保]]三年】'''
 
「[[鼠小僧]]の死んだ年でねぇか! バカ野郎、墓を間違えやがって…」
<br>「失礼しました、こちらです」
<br>「ったく…ん?」
 
[[流山町|流山]]([[野田町 (千葉県)|野田]]とも)の富農・杢兵衛(もくべえ)は喜瀬川花魁に惚れぬき、しばしば妓楼に通い詰めていたが、喜瀬川は次第に嫌気がさし、杢兵衛がやって来たある夜、妓夫の喜助に「病気で入院したので会えない」と伝えるよう頼み、喜助はそうするが、杢兵衛が「病気なら、見舞いに行ってやんべえ」と食い下がって帰ろうとしない。花魁部屋でその旨を伝える喜助に、喜瀬川は「『杢兵衛お大尽に恋焦がれて、わずらって死んだ』と言っておしまい(=言いなさい)よ」と命じる。
'''【天垂童子、[[安政]]二年卯年】'''
 
喜助は杢兵衛に「さっきのは旦那を傷つけないための嘘で、実は花魁は、先月のこの日に亡くなったのです。『わちきはこのまま死んでもいいが、杢兵衛お大尽に、ひと目会いたいよ』と言って……」と言いつつ、湯飲みの茶を目尻に付けて泣くふりをする。杢兵衛が「これから墓参りにいくべ。寺はどこだ?」と尋ねるので、困った喜助はとっさに「[[山谷 (東京都)|山谷]]です」と答えてしまう(吉原から山谷は歩いて行けるほどの近距離である)。喜助は花魁部屋に取って返し、喜瀬川に相談する。「どこでもいいから、山谷の寺に杢兵衛を案内して、どの墓でもいいから『喜瀬川花魁の墓でございます』って言えばいい。うまくいったらお小遣いをあげる」
「こりゃ、子供の墓じゃねえだか!」
<br>「失礼しました、こちらです」
 
喜助は「お花と[[線香|お線香]]をたくさんお買いになってください。お線香は、なるたけ(=なるべく)煙の出るものを、お花は大盛りにして……」と杢兵衛に指示する。花と線香の煙で、墓石に刻まれた名を隠してごまかす算段であった。ふたりが山谷へ向かう道中、杢兵衛は喜助に「喜瀬川の[[宗派|宗旨]]は何だね」とたずねる。喜助はしどろもどろになり「ええその、あっ、[[禅#日本の禅の歴史|ゼンデラ]]宗です」と適当に答える。杢兵衛は「[[禅宗]]か。じゃあ、この寺だな」と、一帯で唯一の禅寺の墓地に入る。
'''【故 [[陸軍]]上等兵某】'''
 
喜助はずらりと並んだ墓のひとつを適当に一つ選んで、杢兵衛を案内する。杢兵衛は案内されるまま、その墓に線香をあげ、のろけたり泣いたりしながら手を合わせて読経する。線香の煙にむせ、思わず[[扇子]]で煙を払うと、墓石の[[戒名]]は「養空食傷信士」で、没年は「[[天保]]三年」となっている。「『信士』とは男の戒名だ。[[天保]]3年といえば大昔、[[鼠小僧]]の死んだ年でねぇか! バカ野郎、墓を間違えやがって」「へぇ、あいすみません、こちらでございます」「[[南無阿弥陀仏]]、南無阿弥陀仏……『天垂童子、[[安政]]二年卯年』。これは子供の墓じゃねえだか!」「失礼しました、こちらです」「『故 [[陸軍]][[上等兵]]某』。いってえ(=一体)本当の墓はどれだ!?」
「いってえ本当の墓はどれだ!?」
<br>「へえ、ズラリと並んでおります。よろしいのをお見立てを願います」
 
<br>「へえ、ズラリとたくさでおりございます。よろしいのをひとつ、お見立て願います」
== オチの解説 ==
全盛期の[[吉原遊郭|吉原]]には、店の格子の前で花魁が顔見せをする『張り見世』というシステムがあった。
遊びに来た客は、格子越しにその様子を眺めながら、'''「よろしいのをお見立てを願います」'''という若い衆の言葉を聴いて、その晩の女性を選んだという。この噺のサゲは、張り見世の前で若い衆が発した言葉が元になっている。張り見世は夕方6時ごろから、お引け(10時過ぎ)までで、引け四ツの拍子木を合図に引き払っていた。
 
== 茶殻の出る涙エピソード ==
喜助がお* 茶を使って、涙を流しているように見せかけるシーンの原話『[[堤中納言物語]]』の一遍である「はいずみ」に原話がみられる。同じ吉原を舞台様のシーンがある落語した「[[お茶汲み]]」でも、似たよう』『[[加賀の千代]]』シーン見られる。
 
== 関連項目 ==
== 「[[幕末太陽傳]]」にも登場 ==
* [[幕末太陽傳]] - 落語を題材にした映画([[川島雄三]]監督)。[[市村俊幸]]が杢兵衛を演じた。
落語を題材にした[[川島雄三]]監督の映画「幕末太陽傳」にも、この噺はサイドストーリーの一つとして取り上げられている。杢兵衛大尽に扮していたのは、[[市村俊幸]]だった。詳しくは[[幕末太陽傳#幻のラストシーン]]を参照。
 
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