「一式陸上攻撃機」の版間の差分

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当然、海軍も十二試陸攻の要求性能で大丈夫と考えていた訳ではないようで、十二試陸攻が発注された翌年の昭和13年に陸攻護衛専用遠距離戦闘機の「十三試双発陸上戦闘機」(後の夜間戦闘機「[[月光_(航空機)|月光]]」)、及び四発陸攻の「十三試大型陸上攻撃機」(後の「[[深山 (航空機)|深山]]」)が同時に発注されていることからもそれが伺える。
 
海軍の性能要求に対し、当初三菱は三発もしくは四発機とすることを海軍に逆提案したものの、拒否されている。これは三菱に要求されたのは双発陸攻で、四発陸攻は翌年に十三試陸攻として発注する予定があるためで、既に九六式陸攻と[[九七式飛行艇]]という実績を挙げている三菱と川西に双発の十二試陸攻と四発の十三試大艇(後の[[二式飛行艇]])の開発を、四発機の経験に乏しいものの、長年に渡って[[ダグラス DC-2]]の[[ライセンス生産]]を行っている[[中島飛行機|中島]]に]][[ダグラス DC-4|DC-4E]]を原型とした十三試大攻の開発を発注して、双発陸攻と四発飛行艇を確実に実用化し、更に欧米からの技術導入により四発爆撃機を実用化を図ろうとするのは、既に渡洋爆撃等で大きな被害を受けていた海軍としては自然な判断である。
 
: 米軍の[[第二次世界大戦]]における主力爆撃機のひとつである[[B-17_(航空機)|ボーイングB-17フライングフォートレス]]は、双発機相当の性能要求に対して四発機で応えたため、高性能ではあるものの高価な機体になり、より安価な[[B-18 (航空機)|ダグラスB-18ボロ]](DC-2原型の双発爆撃機)が1930年代の米陸軍航空隊の主力爆撃機の座を占め、B-17は採用はされたものの少数生産に留まった。B-17が主力爆撃機の座を占めるのは、アメリカの参戦以降である。