「カラブリア州」の版間の差分

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現在のカラブリアに最初に定住したのは、[[オスク語]]([[イタリック語派]][[オスク・ウンブリア語群]]の言語)を話す諸部族であった。そのうち2つの部族は、{{仮リンク|オイノートリア人|en|Oenotrians}}({{lang|grc|Οἰνωτρία}}、直訳すれば「ブドウを栽培する土地の人々」の意)、{{仮リンク|イタロス人|en|Italus}}({{lang|grc|Ἰταλός}})と呼ばれた。ギリシャ人たちが最初にイタロス人と接触したことから、この地域は「イタリア」の名で呼ばれた最初の地域となった。
 
[[ギリシャ人]]たちは早期からこの地方の海岸地域に盛んに移住し、いくつかの都市を築いた。イタリア半島における最初の都市のひとつであるレギオン({{lang|grc|Ῥήγιον}}, 現在の[[レッジョ・ディ・カラブリア]])、{{仮リンク|シュバリス|en|Sybaris}}({{lang|grc|Σύβαρις}}, 現在のシバリ([[カッサーノ・アッロ・イオーニオ]]の分離集落))、数学者[[ピタゴラス]]が晩年を過ごしたクロトーン({{lang|grc|Κρότων}}, 現在の[[クロトーネ]])、エピゼフュリオイ・ロクロイ({{lang|grc|Επιζεφύριοι Λοκροί}}, 現在の[[ロクリ]])などで、これら[[マグナ・グラエキア]]の有力な都市は紀元前6世紀から紀元前5世紀にかけて建設された。
 
ギリシャ人は紀元前3世紀までに、北からやってきたオスク語を話す部族によって征服された。かれらの中は[[サムニウム]]人{{enlink|Samnites}}の一派であるルカニア人{{enlink|Lucani (ancient people)}}や、その分枝であるブルッティ人(ブルティウム人){{enlink|Bruttii}}が含まれていた。ブルッティ人はギリシャ人の諸都市を征服すると、現在のカラブリア地方に支配を打ち立て、自らの都市群を建設した。ブルッティ人の首都として建設されたのがコセンティア(現在の[[コゼンツァ]])である。