「倭姫王」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Nmspec (会話 | 投稿記録)
参照文献提示(他者編集の部分だが):大海人皇子の帝位固辞部分。日本書紀は正史であり対象が断定的表現の部分である事より、伝聞調の「と言われる」は相応しくないと判断し削除した。
4行目:
[[大化]]元年9月12日(645年10月7日)、父・古人大兄皇子が謀叛の疑いで中大兄皇子(後の天智天皇)に攻め殺される。天智天皇7年2月23日([[668年]][[4月10日]])、中大兄皇子が天皇に[[即位]]したことにより[[大后]]となる。
 
天智天皇が病に倒れた際、大海人皇子(後の[[天武天皇]])は「倭姫王が即位し、[[弘文天皇|大友皇子]]が[[太政大臣]]として[[摂政]]を執るべき」進言したと言われる<ref name="大海人譲歩">「巻第二十七 天智天皇 天智天皇崩御」 『日本書紀(下)全現代語訳』宇治谷 孟訳(講談社学術文庫)1988年、239頁</ref>。また、天智天皇[[崩御]]後に倭姫王の即位または[[称制]]があったとする説もある。
 
天智天皇の危篤・崩御の際に詠んだ歌4首が『[[万葉集]]』に収められている。
15行目:
* [[里中満智子]]『[[天上の虹]]』
* [[長岡良子]]『夢の奥城』
 
== 脚注 ==
{{reflist}}
 
 
{{歴代皇后一覧}}