「エクアドルの歴史」の版間の差分

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[[ファイル:Gran marical de ayacucho.jpg|right|thumb|180px|ボリーバルの最も優秀な部下だった[[アントニオ・ホセ・デ・スクレ]]元帥。]]
 
[[ナポレオン戦争]]の最中の1808年に、本国[[スペイン]]にて[[フランス帝国]]軍の圧力の下で[[フェルナンド7世 (スペイン王)|フェルナンド7世]]が退位させられ、[[フランス皇帝]][[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン1世]]の兄、[[ジョゼフ・ボナパルト|ジョゼフ]]がスペイン王ホセ1世に据えられると、インディアス植民地は偽王への忠誠を拒否し、各地でフェルナンド7世を擁護することを名目に各地で[[クリオーリョ]]達によって自治運動が進められた<ref>[[#増田編(2000)|増田編(2000:183-185)]]</ref>。現在のエクアドルに相当する地域でも1809年8月10日にキトでクリオーリョを主体とした[[フンタ (半島戦争)|革命評議会]]により、イスパノアメリカ初の独立宣言がなされた<ref>[[#新木編著(2006)|新木編著(2006:41)]]</ref>。この運動はペルー副王[[フェルナンド・アバスカル]]が派遣した王党派軍によって鎮圧されたが、1820年に[[チリ]]から[[アルゼンチン]]人の[[ホセ・デ・サン=マルティン]]率いる解放軍が[[ペルー]]に上陸すると、もはや副王政府の権威喪失は明らかとなり、1820年10月19日には[[グアヤキル]]が、11月3日には[[クエンカ (エクアドル)|クエンカ]]が独立を宣言した<ref>[[#新木編著(2006)|新木編著(2006:41-42)]]</ref>。
 
副王軍は独立運動の再鎮圧を図ったが、そこに1821年の[[カラボボの戦い]]での勝利により、[[ベネズエラ]]を最終的に解放した[[大コロンビア|コロンビア共和国]]の[[シモン・ボリーバル]]率いる解放軍が南下し、1822年5月24日に[[アントニオ・ホセ・デ・スクレ]]将軍が[[ピチンチャの戦い]]で副王軍に決定的な勝利を収め、[[キト]]、[[グアヤキル]]、[[クエンカ (エクアドル)|クエンカ]]は最終的に解放された<ref name=arakihencho.42>[[#新木編著(2006)|新木編著(2006:42)]]</ref>。
 
[[ファイル:Guayaquil LaRotonda Bolivar SanMartin.JPG|left|260px|thumb|ボリーバルとサン=マルティンの会談、及び南アメリカ独立の記念碑。]]