「茨城県道14号筑西つくば線」の版間の差分

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'''茨城県道14号筑西つくば線'''(いばらきけんどう14ごう ちくせいつくばせん)は、[[茨城県]][[筑西市]]から[[つくば市]]までを結ぶ[[都道府県道|県道]]([[主要地方道]])である。
 
== 路線概要 ==
筑西市(旧[[下館市]])中心部から、[[筑波山]]の麓の北条地区までをほぼ直線的に結ぶ。
* 距離:18.134km
=== 路線データ ===
* 起点:[[茨城県]][[筑西市]]直井([[国道50号]]交点、横島交差点)
* 終点:茨城県[[つくば市]][[北条 (つくば市)|北条]]([[国道125号]]交点、内町下交差点)
* 距離:18.134km
 
== 歴史 ==
[[1919年]]に公布された旧[[道路法]](大正8年法律第58号)の[[1920年]](大正9年)[[4月1日]]施行を受けて、茨城県では施行当日に告示した県道を一次認定する112路線のうちの一路線である。[[1952年]](昭和27年)[[12月5日]]に現・道路法(昭和27年6月10日法律第180号)が施行されたのに伴い、旧道路法が同日廃止されたのを受けて、後日、茨城県でも茨城県告示で旧道路法に基づく県道のほとんどが廃止されたが、本路線は廃止されず、旧道路法に基づく路線認定当時から今日まで存続する数少ない路線の一つとなった。路線認定当初は下館北條線(下館北条線)という路線名称であったが、つくば市の誕生により下館つくば線、さらに[[平成の大合併]]を経て現在の筑西つくば線に改称された。
* [[1920年]]([[大正]]9年)4月1日:下館筑波線として路線認定される<ref>茨城県報 第七百七十九号 大正九年四月一日 - 茨城県告示第百四十七号より</ref>。
=== 年表 ===
* [[1969年]]([[昭和]]36年)[[3月31日]]:下館北条線の道路区域が下館市下中山<!--410番地先-->主要地方道下館石岡線分岐から筑波郡筑波町大字北条<!--字小沢67番地先-->佐原熊ケ谷線交点までと変更されて道路供用開始<ref>[http://soumu.pref.ibaraki.jp/file/PDF/1961/196103/n4666.pdf 道路区域の変更(昭和36年3月31日 茨城県告示第354号)・道路の供用開始(同日 茨城県告示第358号)],茨城県報 第4666号(1961年(昭和36年)3月31日)p.10 - p.12より</ref>。
* [[1920年]]([[大正]]9年)4月1日:下館筑波北條(番号57)として路線認定される<ref>茨城報 第七百七十九 大正九年四月一日 - 茨城告示第百四十七より</ref>。
* [[1969年]]([[昭和]]36年)[[3月31日]]:下館北条線の道路区域が下館市下中山<!--410番地先-->主要地方道下館石岡線分岐から筑波郡筑波町大字北条<!--字小沢67番地先-->佐原熊ケ谷線交点までと変更されて道路供用開始<ref>[http://soumu.pref.ibaraki.jp/file/PDF/1961/196103/n4666.pdf 道路区域の変更(昭和36年3月31日 茨城県告示第354号)・道路の供用開始(同日 茨城県告示第358号)],茨城県報 第4666号(1961年(昭和36年)3月31日)p.10 - p.12より</ref>。
* [[1993年]]([[平成]]5年)4月1日:[[国道408号]]の一部に昇格する予定であった。詳細は後述。
* [[1995年]](平成7年)3月30日:路線名と整理番号が、下館筑波線(整理番号22)から下館つくば線(整理番号14)に変更される<ref>[http://soumu.pref.ibaraki.jp/file/PDF/1995/199503/n637.pdf 県道の路線名および整理番号の変更(平成7年3月30日 茨城県告示第436号)],茨城県報 第637号(1995年(平成7年)3月30日)より</ref>。
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== 路線状況 ==
[[交通量]]はさほど多くはないが、道幅が比較的狭く[[信号]]も多いため平均速度はあまり上がらない。
=== バイパス ===
*県道筑西つくば線バイパス(つくば市中菅間)
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== 地理 ==
筑西市(旧[[下館市]])中心部から、[[筑波山]]の麓の北条地区までをほぼ直線的に結ぶ。当初下館筑波線という名称であったが、つくば市誕生により下館つくば線、さらに[[平成の大合併]]を経て現在の名称に変更された。[[交通量]]区間さほど多くはないが、自転車幅が比較的狭く[[信号]]も多いため平均速度はあまり上がらない。つくば市内の区間はかつてのりんりんロード]]」(旧・[[筑波鉄道筑波線]]廃線跡)と並行しており、廃線跡は現在は自転車道「いる。つくば市[[上大島 (つくばりんりんロード市)|上大島]]」とし地内におい整備されている。一部の跡地を道路用地に転用した部分があり、それに伴う線形改良のためつくば市[[上大島 (つくば市)|上大島]]交差点付近では本路線の旧道跡(現在は廃道部分が併走する。
 
これは、当道が現在は上大島交差点筑西市方面から右折するのに対し、旧道は直進し、筑波線[[上大島駅]]脇を踏み切りで渡り(現在の上大島交差点付近はかつての鉄道駅構内だった)上大島の集落内を通過してから現道に戻ってるような道筋を昭和40年代に上大島を[[バイパス道路|バイパス]]化した際、上大島交差点手前(当時は前述のように駅があった)からつくば市内方面へ向かって緩やかに右カーブさせて上大島集落手前の水田地帯迂回し、スタンド付近までをバイパスさせて現道に接続するルートとしが、その後、筑波線は[[廃線]]となり、その線路跡地利用として一部利用真壁町酒寄地内で[[茨城県道・栃木県道41号つくば益子線|茨城県道41号つくば益子線]]をバイパス化、旧・上大島駅跡に交差点ができた。初期の頃は県道つくば益子線から来た車は、ここから右カーブのほうへ迂回していた<ref>参考画像:[[国土地理院]] 地図・空中写真閲覧サービス [http://mapps.gsi.go.jp/contentsImage.do?specificationId=968476&dispType=1 1974年撮影]
[http://mapps.gsi.go.jp/contentsImage.do?specificationId=1054194&dispType=1 1990年撮影]
</ref>。その後、県道つくば益子線が上大島交差点からさらに廃線跡を使いバイパス南下。右カーブ終了先付近へ接続したため、その右カーブ付近が廃道となっている。
 
=== 通過自治体 ===