「エディ・アルバート」の版間の差分

 
== 生涯 ==
[[イリノイ州]][[ロックアイランド (イリノイ州)|ロックアイランド]]にて、ドイツ系移民のフランクとジュリアのハイムバーガー夫妻の間に生まれる<ref>[http://www.filmreference.com/film/35/Eddie-Albert.html Eddie Albert Biography (1908?-)<!-- Bot generated title -->]</ref>。彼が生まれて1年後に[[ミネソタ州]][[ミネアポリス]]に移り住み、[[ミネソタ大学ツインシティー校|ミネソタ大学]]でビジネスを学ぶ。しかし、1929年(昭和4年)の[[ウォール街大暴落 (1929年)|ウォール街大暴落]]の影響で仕事が見つからず、アマチュア歌手、保険のセールスマン、[[サーカス]]の空中ブランコ乗りなど様々な仕事を経てニューヨークに移り、[[ブロードウェイ]]に進出。1933年にエディ・アルバートと改名し、[[1938年]](昭和13年)に映画デビュー。以後、存在感のある脇役として活躍。第二次世界大戦中は[[アメリカ海軍|海軍]]で従軍した。映画『[[ローマの休日]]』のカメラマン役で広く知られている。その『[[ローマの休日]]』(1953年)と映画『ふたり自身』(1972年)で[[アカデミー賞]]助演男優賞にノミネートされた。またテレビでは1965年(昭和40年)から[[CBS]]で放送されたドラマ『[[農園天国]]』が大ヒットし、元ニューヨークのエリート弁護士で引退して田舎に移住した主人公オリバー・ダグラス役はアルバートの当たり役となった。
 
歌手としての実績も高く、アカデミー賞授賞式のイベントでその声を披露したほどである。[[1945年]](昭和20年)にメキシコ系女優の[[w:Margo (actress)|マーゴ]]と結婚。息子の[[エドワード・アルバート]]も俳優になった。リベラルな人柄でも有名。
 
2005年5(平成17年)5月26日、[[肺炎]]のため[[カリフォルニア州]]にある自宅で死去。99歳。
 
== 主な出演作品 ==
匿名利用者