「青木茂 (参議院議員)」の版間の差分

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[[第15回参議院議員通常選挙|1989年の参院選]]に立候補するが、[[日本社会党#日本社会党 (1945-1996)|日本社会党]]の[[土井ブーム]]の煽りを受けたこと、又、新党ブームの下火、サラリーマン新党の政治的立場が不安定(野党であったが、[[自由民主党 (日本)|自民党]]寄りの考えがあったという)なこともあり、落選する。これを期に党代表を辞任し最高顧問となる。なお、現在も[[サラリーマン新党]]は政治団体として存続しており、青木が再び代表を務めている。
 
青木はまだイデオロギー対立の時代に国民の生活向上を政治の至上命題にとらえ、右でも左でもない立場を貫いた。人物としては温厚なリベラリストであった。また後に[[内閣総理大臣|首相]]となる[[菅直人]]元首相が学生時代、青木のもとを立候補要請に訪れその後青木家の敷地内で学習塾を開いていた。作家の[[城山三郎]]とは愛知学芸大学で教鞭をとった同僚であり、豊橋在住の青木に上京を勧めたのも城山であり亡くなるまで親交があった。
 
==参考文献==