「国際寝台車会社」の版間の差分

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大戦中に徴用された車両のうち、最も有名なものが食堂車2419D, 別名「休戦の客車」(Wagon de l'Armistice) である。この車両は1913年に[[サン=ドニ]]にあるワゴン・リ社の子会社の車両工場に発注された37両のうちの一両である。1914年5月20日にワゴン・リ社に納入され、当初はパリ・[[モンパルナス駅]]と[[ブルターニュ地域圏|ブルターニュ地方]]を結ぶ列車で使用された。後にフランス東部の列車にも使用されたが、[[1918年]]8月に営業運転を終え、[[フランス陸軍]]に徴用された。1918年10月からは[[フェルディナン・フォッシュ]]西部連合軍総司令官の司令部として用いられた。
 
1918年[[11月11日]]、[[オワーズ県]]の[[コンピエーニュの森]]に停車した2419Dの車内で、連合国とドイツの[[ドイツと連合国の休戦協定 (第一次世界大戦)|休戦協定]]が調印された。
 
フォッシュの司令部の列車(2419Dのほか、フォッシュの執務室や司令部要員の宿舎に当られた寝台車などからなる)と、フランス側の用意したドイツ代表団の列車がコンピエーニュの森の中の線路に並んで停車した。この線路は元々[[重砲]]を配置するために敷かれたものであった。後に線路の大部分は撤去されたが、両代表団の列車の停車していた位置の線路は保存され、記念の[[銘板]]が設置されている。