「中村彝」の版間の差分

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* [[1887年]](明治20年)、[[茨城県]]仙波村(現在の[[水戸市]])に生まれる。男3人女2人の5人兄弟の末子であったが、兄2人と姉1人は彝が10代の時に相次いで亡くなる。父は彝が生まれた翌年に没しており、母も彝が11歳(満年齢、以下同)の時に没した。
* [[1907年]](明治40年)、祖母が死に、唯一生き残った2番目の姉が嫁いでからは天涯孤独の身となり、一人暮らしを余儀なくされる。彝自身も[[結核]]を病み、療養のため学校([[陸軍中央幼年学校]])を中退した。
* [[1905年]](明治38年)、18歳の時、[[転地療養]]のため[[千葉県]]北条湊(現在の[[館山市]])に赴き、この地で水彩スケッチを始めた。翌年から白馬会研究所、次いで太平洋画会研究所で洋画の勉強をするが、その間にも千葉県などへ転地療養を繰り返している。
* [[1909年]](明治42年)第3回[[文展]]に初入選。
* [[1910年]](明治43年)には第4回文展で『海辺の村』が3等賞となり、この作品は実業家今村繁三が購入する。