「灰田勝彦」の版間の差分

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しかし、[[10月26日]]、朝食後に容態が急変し、君子夫人と長女に見守られる中、この世を去った。{{没年齢|1911|8|20|1982|10|26}}。朝食をとった直後は、まだ容体は安定しており、大好きだった野球の放送時間を気にして「おい、一時になったら[[1982年の日本シリーズ|日本シリーズ]]をつけてくれ」と言ったのが最後の言葉になった。
 
灰田の死は芸能界に大きなショックを与え、新聞では社会面で大々的に訃報を伝えた。葬儀には芸能界に留まらず、各界の著名人が顔を連ね、灰田の交友の広さと人気を伺わせた。
 
[[11月3日]]に予定されていた母校・立教大学に「鈴懸の径」の歌碑の除幕式への出席を心待ちにしていた矢先で、当日の除幕式には灰田に代わり、母校の先輩で灰田とは約半世紀に及ぶ親交があった歌手[[ディック・ミネ]]が音楽番組の収録を中途で抜けて駆けつけ、晴彦や君子未亡人らとともに式に出席。号泣しながら「鈴懸の径」を歌いその死を悼んだ。