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[[1990年]][[9月9日]]に[[サミュエル・ドウ]][[大統領]]が誘拐される(後に[[プリンス・ジョンソン]]によって処刑された)と、[[11月22日]]までの間に首謀者のプリンス・ジョンソンと共謀者の[[チャールズ・テーラー]]がともに大統領職を狙った。一方、その直前の8月後半から[[ガンビア]]の首都[[バンジュール]]で行われていた緊急会議で、リベリアの7つの政党と11の利益団体から代表された35人の代表団で行われた投票により、ソーヤーが暫定大統領に選出され、[[ローランド・ディグス]][[主教]]が副大統領に選ばれた。当初1年間であった任期は、ジョンソンやテーラー、[[デビッド・ニムレイ]]といった反対する勢力との戦いによる[[内戦]]により、結局4年間にまで延びてしまった。1994年、暫定国家評議会の議長からリベリアの首班の役を解かれた。内戦は[[1996年]]に再び始まり、テーラーが大統領職にあった[[1997年]]から[[2003年]]まで続けられた。
 
ソーヤーは、[[ノースウェスタン大学]]で[[政治学]]の[[Ph.D.|博士]]を取得している。また、[[アメリカ合衆国|アメリカ]][[インディアナ州]][[ブルーミントン (インディアナ州)|ブルーミントン]]にある[[インディアナ大学システム|インディアナ大学ブルーミントン校]]政治学科において、政治理論と政策分析のワークショップの研究員を務めている。さらに、リベリアのガバナンス改革委員会(現在はガバナンス委員会)の議長も務めている。[[2005年]]春には、「''Beyond plunder : toward democratic governance in Liberia''」という著書を出している。2005年10月に行われたリベリアの大統領選挙では、[[エレン・ジョンソン・サーリーフ]]を支持した。
{{先代次代|[[リベリアの大統領]]|[[1990年]] - [[1994年]]<br />(暫定)|[[サミュエル・ドウ]]|[[デヴィッド・ポーマポー]]<br />(暫定)}}